祈る木 ⑦

karpos2005-12-27



中心を探す。


木が木としてすっくと立っていられるということ。
土、根、幹、枝、枝に広がるさらなる枝、
その枝から伸び上がる葉、葉のそばに開く花、
そういうの、ぜんぶがあって、木となっているわけだけれど、
その木の中心というのは、いったいどこなのか?


わたしの中心は。


で、つづき。

祈りは、まるで木のように、その所作の絡み合う網状のなかにあって、そのすべての事象によって、神との対話を行う。身体(le corps)は、神聖なもの、聖別されたさまざまなものとともに、儀式(le culte)を象徴する。それらさまざまなものは「象徴的なもの」(symboliques)、ミクロコスモスという媒介(道具)(instruments)、所作のメタファー。神秘の秩序によって組まれた果てしないパズルの中に、この身体の着生は行われる。それは、祈りの人に、場所としての神秘の、つまり、ある一地点のうちにあるという、場所を与えるということである。その場所こそ、それぞれの祈りの「中心点」。もしも、所作がそうであるように、祈りの周辺にある事象のどれも祈りではないなら、それらの事象は、暗黙のうちに神を明らかにする世界、その内側に関わるかたちのもとに置かれた関係性とさまざまな段階を意味するということになる。十字架に口づけすること、聖書を取り、そして、聖書の置かれるべき座にそれを置くこと、教会の柱にのぼること、ひざまづき台にひざまづくこと、ロザリオの珠を一つずつくぐること。祈る人は、必ずしも、さまざまな物の真ん中にいるというわけではない。それらと「ともに」いる。身体が強く結ばれている本性は、見えるもの、見えないものすべての父に話すべきことを示している。身体は、物理的にも、また霊的にも、コスモスのなかにある。


祈りの中にある身体がもつ「方向性」は、宇宙的な状態にあるという特性をもつ。修道士Arseneは、日の昇る方向に身体を向けた。彼は、東西南北の四つの方角によって描かれた十字架の真ん中にあったが、彼が向く方向がどこでもいいというわけではなかった。祈りを学びたいと望む弟子たちに対してこたえる時、この「方向性」以外の何も示されないということは本質的なことであった。PaphnusはThaisに、「あなたは神を呼ぶにふさわしくない、あなたの唇にその神聖なる名を置くことさえもできない、また、空に向かってそれ以上、手をあげてはならない。なぜなら、あなたの唇には、数多くの心配事があり、手は恥ずべきことに汚れているから。しかし、そこに座り、あなたの眼差しを東に向け、このように繰り返し言うことで、喜びなさい、《あなたはわたしをかたちづくられた方、わたしを憐れんでください》と」*1。同じ祈りを繰り返しながら、誰がそれは真実と感じえないであろうか?「私たちは、東の方に向かって祈っている」、Pseudo-Alcuinは言う*2。しかし、そこに、祈りの真実な事象として同定されるべきものはなにもない。祈りの人が目を置くのは、また巡礼者の足が向かうのは、必ずしも、エルサレムというだけではない。それは聖なる都のむこうなのである。もしも私たちが、東に住まないなら、私たちは、東をずっと見ることになる(同じく言えるのは、最近、エルサレムへの巡礼の道が、幾つも増え、新たに造られているということ)。キリスト者は、パレスチナに生まれて死んだ人が誰か、ということを知っており、そして、存在の地平まで、視線をくまなく行き届かせるために、この世界で、その空間という動きとともに、そこは住むことが不可能だと言う方向に向かい、すべての被造物が受け取った何か生きたものを記す方向に向かいながら、地図上に位置決定されたいくつもの境界を超える。東に向かうということは、つまり「私たちの原初を探すこと」*3である。Pseudo-Alcuinは、「それは、より素晴らしい本性に帰ること、つまり神へ帰るということ」*4と言う。しかし、共同体は、祈りながらも、教会によって自らすでに「方向付けられて」いるということを知らない。だから、この物理的な方向性と、その神秘的感受性が、ある種の矛盾を呈しているというのは、祈りの逆説的な面を単純にうまく言い表している。あるいは、もっと言えば、弁証的ということか。所作は、人間のいのちに決定された絶対性を探すが、それはまた、面と向かって与え合うという憐れみの逆説性をも意味しているのである。神は、その人間性に負う言語(le langage)とともに、神が自分自身に向かわせるその手、その顔、その身体を探しに来る。そして、その手、その顔、その身体は、それに応答するのである。・・・つづく
Michel de Certeau, La faiblesse de croire, paris, seuil, p.38-39


この国に来た時、この国の人たちが、自分たちはOccident、あなたたちはOrientという言い方が気になって仕方がなかった。そして、日本人や中国人、他、東アジアの人一般すべて含めて、Asiatiqueと呼ばれる。相手から異国の人扱いされている自分がなんだか仲間はずれにあってるようで(やさしくしてくれても、その言い方が)気分が悪かった。でも実際、異国の人であることには変わりない。自分が異国の人であるということになかなか慣れるまで時間もかかった。


やっと、自分が異国の人であることを楽しむ余裕もできてきた。そして、今、特に、私は「極東の人Extreme-Orient」と呼ばれるのだが、私も、この国の人にむかって「極西の人Extreme-Occident」と呼ぶ。屁理屈みたいに、Extremeの場合はブルターニュの人だわね、なんて言う人もいる。

とはいえ、この国の人たちも、自分のことを「西の人Occident」と言う。「真ん中の人」とは言わない。「真ん中の人」と言うのは「中華」の人だ。


わたしは中心を探す。
西に住む、東の人として。

*1:Patrologie latine 73,662

*2:Patrologie latine 101,1245

*3:Basile, Patrologie grecque 33,189 ; voir Gregoire de Nysse, ibid., 44,1184

*4:Patrologie latine, 101,1245