ふりかえる…

意識のエクササイズという祈りを週に一度学生たちと一緒に行う。五段階に分かれているこの祈りを50人ほどの人と一緒に行うのだ。

まず、はじめに感謝。次に光を願い、三段階めのボディとなる24時間を映画を見るように振り返る祈り。ここでは、「あ!しまった」とか「どうしよう」とか、反省モードに入ってはならない。呼吸を整え、無心に過ぎた24時間を、五感の記憶を頼って、映画を眺めるように見ていく。ひとしきり昨日の今の時間まで来たら、そこではじめて感情に留まる。つまり、第四段階の悔い改め。自分の弱さ、脆さ、足りなさについて留まる。そこを言語化する。どういうところが足りないのか、何を後悔しているのか。言葉にする、言葉にする… そして、最後の第五段階、今、自分に必要な恵みを神に願う。勇気が欲しいとか、集中力を養いたいとか、もっと心を込めて愛したいとか。あるいは決意をしたり、自分自身を確認したりする。わたしがわたし自身になるために、自分の足で立って、この足で一歩歩きはじめていくように。

そして、毎週繰り返しながら、先週は一週間も振り返ってみた。一週間前を思い出すことはけっこう難しくなっている。忙しいのだ。そして、今日は、一年間を振り返った。6月、5月、4月、3月… そして、2021年12月、11月、そして、7月。7月5日。今日のはてなブログの一つ前は2021年7月5日。はからずも、学生たちと一年間を振り返った今日のエクササイズ。わたしにとってちょうど一年前は、はてなブログを書いた日だ。

一年間の一日一日を薄いパイ生地にたとえたら365枚のパイのうす皮が重なっている。一日一日を曲がりなりにも生きてきて、確実に歳をとって、老けてる。もちろん一年前の7月5日が決定的に若かったわけではない。ちょっと若かっただけ…

それにしても驚くよね。

一年前「おしゃべり鳥」を思い出していた。相変わらず落語は聴いている。聴き続けている。

聴いて、考えている。プロットを。プロットが目には見えない集合的内面界を生成しているのがわかる。このプロットが牧草地であれば、そこで平和に羊も牛も安心していられる。つまり家畜も家畜であることから離れ、家畜自身になれるんだ。

あと、今日、自分の教育方針が何なのかが問われた。そもそもどういう人間になって欲しいと思っているのか?

その時に考えたのがやはり「牧草地」だった。

果てしなく広がる草原。そこに腰を下ろす。気持ちがいい。そよ風が吹いている。落ち着いて、大きな空を眺める。草原以上に空が広い。空が高い。ゆったりと考えられるそのような心身を備えた人間になって欲しいんだ。たとえ東京砂漠に居なければならなかったとしても。不当に扱われ、尊厳を奪い取られたとしても。目の前に起きている現象をじっと見つめ、何をどう変革したらいいかを考え、天からの照らしを待って、時機にかなって決断できる。