夜8時の街を歩くと
緊急事態宣言後、夜8時の街を歩くとパリのセーブル通りを思い出す。
電気が全部消えて、誰も歩いていない。
時々ぽわぁ〜っとオレンジ色の灯がともっている。それは小さなカフェ。昼間はコーヒーを飲むところ、夜は立ち飲みのビール。それでも、セーブル通りのカフェは夜9時頃には店員が椅子やテーブルを片づけ始める。
そもそもイルミネーションがないからパリの夜の街はほんとに真っ暗だ。コンサートホールですら、ホールの外観は真っ暗だし、ライブハウスなんかも目立たない。そうだな、あの街はネオンがないからあんなふうに暗いんだ。街灯がオレンジ色の灯をともしているだけ。
カフェの色も街灯の色も、夜の闇をほんのり照らすだけ。
コロナの去年からの一年で購買欲みたいなものが失せたのか、なにかを買いたいという気がおこらない。ショッピングに行きたいとか、なんかいいものないかなみたいな気持ちにならない。美味しいフレンチを食べたいとか、もちろん、それまでだってそんなに食べてもいないが、なんか、心の底から、あぁ〜食べたい、あぁ〜欲しいという気持ちが起こらない。
そして、そんな人の欲望減少を写し鏡に映したかのように、店の陳列物が薄くなっている。
溢れんばかりに店の陳列にモノたちが置かれていたのに、陳列棚に隙間が見え、棚の木がむき出しになっているところさえある。
そう、店のモノが少なくなっている。
おそらく入荷を控えているんじゃないか。売れないことを予想しモノを仕入れていないんだ。
人の欲望減少の写し鏡には、閉店も映し出されている。
あれ、あの店、トラックが横付けされて荷物を運び出している。そして次の日からはシャッターが閉まっている。
広島から東京に出た頃、初めての東京の印象は「毎日が祭だな」だった。
夜の街に人が溢れていて、どこに行くの知らないが、みんなどこかにぞろぞろ歩いて行っている。肩を揺らし、楽しそうに、キラキラのネオンの夜の街に。
広島で夜そんなにキラキラのネオンが輝いているのは街の中でもほんの一部分。一角でしかなかった。けど、東京は新宿一つとっても、これ、一角じゃないよな。祭だ、祭だ、わっしょいわっしょいって感じに見えた。もともと祭は嫌いじゃなかったから慣れたけど、この「わっしょい感覚」に慣れない人にとって東京は酷だと思う。
そして、今、夜8時が真っ暗の東京になっている。