降りてみる

この階段を一段ずつ降りていく。
一つ降りたら、昨日のことを思い出し、二つ降りたら一週間前のことを思い出す。三つ降りたところで一年前のこと、そして四つ。四つで七年前にしよう。そんな昔のこと、もう思い出さなくてもいい。いや、自分が自分であるために思い出す。リジュの聖テレジアは「上るために降りる」と言った。それは人がどれほど小さき者であるかを知る道だった。そんな道を、歩むようにというより、降りるようにと選んだ、というより選ばれた。中途半端で、けっしてひとりでは完成することのない選び。
わたしが降りることの出来るいちばん低いところにて黙っていること。愛を受けるため。
11月になって、夜も長くなって、降りるためのすべてが整って、静かになる。不思議だな。9月から新学期が始まった仏蘭西では10月も11月もエネルギーに満ちてたんだけど、日本では日本なりの季節の過ごし方があるんだよ。学園祭があっても、ハローウィンがあっても、そして、クリスマス・シーズンになっても、なにかしら気持ちは降りていく。新学期が始まったのが4月なんだもんね、考えてみたら一年のもう後半戦やで。