同時代

ルター、カルヴァンカニジウス・・・et トリエント公会議
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ルター(1483−1546)
ロヨラのイグナチオ(1491−1556)この二人、同時代。
ちょっと遅れて、カルヴァン(1509−1564)こちらは生きたまま火刑にあった病死という話。
カルヴァンの信仰問答のはじめ

問い一 人生の特に目指す目的は何ですか。
答 人をお造りになった神を知ることです。
問い二 そのように言う理由は何ですか。
答 神が私たちを創造され、この世界に置かれたのは、私たちによって御自身が崇められるためでありました。しかも、私たちの生は神御自身がその初めであられるのですから、神の栄光にこれを帰するのは当然であります。p9

ロヨラのイグナチオの霊操23、あの有名な(イグナチオファミリーならご存知って意味で)原理と基礎

人間が造られたのは、主なる神を賛美し、敬い、仕えるためであり、こうすることによって、自分の霊魂を救うためである。また、地上の他のものが造られたのは、人間のためであり、人間が造られた目的を達成する上で、人間に助けとなるためである。p51

なんとなく親和的ではありませんか、創造論。でも、恩恵、義化についてはこの一文ですでに逆なのか・・・
 「キリストにならう」「キリスト者になる」って真摯に問うた人間たちなんだから、ぜんぜん違うことは言ってないように思うのだけれど。運命ってのは。
 よく考えてみると、「霊操」四週に構成された祈りの軌跡はまさに「聖書」に基礎づけられているということなんだよね。二週からはじまる「キリストの国」、三週「受難」、四週「復活」。つまり、そのまま福音書にあるイエス・キリストの物語。しかし、当たり前のように第一週「回心」って、自らの「罪を黙想する」という部分の構成に関しては、どうなんだろ、「時代」なんだろうか。ルターもカテキズムの第一番めは「十戒」である。彼らはどんなふうに「あの同時代」を生きたんだろ。
 「霊操」も現代ではいろいろに解釈されている。四週をもっと祈りのダイナミズムとして時間的な軸で捉えなくてもいいというアイデアさえある。イグナチオも相当な年月をかけて「霊操」を書き上げている。