時間


お馴染みカトリック高円寺教会のLuke8488さんのブログから・・・
クリスマス・コンサートがあるみたい。
エレクトロニック・ギターやドラムがうなり、
ボーカルのパブロくんが愛の歌をシャウトするようですね。


コンサートのタイトルは、

「時は流れ去るものじゃない、時は満ち溢れるもの」
http://blog.goo.ne.jp/luke8488/

すごいねぇ。


時が人間の内に生まれ、それが満ちるという経験は、
まさに「経験」しないとわからない。
自分の内側に時が生まれ、しかもそれが満ち溢れるというできごと。
なぜ、それがわたしに到来したのか。
それを、どのように説明したらいいだろう、
いや、説明なんて必要ないのかもしれない。
到来した時は、ここに来て、始まってしまったんだもん。


この時間概念が「流れ去る時」とまったく違うのは、
次のように研究されてる。

私たち日本人にとって、時間が人間存在の内的なものであるという考えは、それこそ自然には思い浮かばない思想です。時間とは、あくまでも、自分という人間存在の外に悠然と流れていく、「何か或るもの」なのであって、私たち人間にとっては、ただそれに身をまかせたり、傍らを通り過ぎてゆくのを感じたりするだけの外的な存在にすぎません。
こうした時間の観念は、反面において、変わってゆくものの中に立って、その変化に逆らうという決然たる意志の成長を妨げたのです。
変化してゆくものは、自分の外にあるのであって、自分の意志がどうあがこうと、その変化自体に介入することはできません。これが、私たち日本人の時間観念であり、自然観であり、ひいては世界観です。
「日本の自然崇拝、西洋のアニミズム保坂幸博新評論2003年p.185


時、時間、カイロス