わたしはある

karpos2005-04-21

はっきり言っておく。僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。わたしは、あなたがた皆について、こう言っているのではない。わたしは、どのような人々を選び出したか分かっている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉は実現しなければならない。事の起こる前に、今、言っておく。事が起こったとき、『わたしはある』ということを、あなたがたが信じるようになるためである。はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受け入れる人は、わたしを受け入れ、わたしを受け入れる人は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
ヨハネによる福音書13章16−20

ベネディクト16世
4月20日、枢機卿達と共に捧げた最初のミサでの説教から引用。
Homelie de Benoit XVI
mercredi 20 Avril
http://www.vatican.va/holy_father/benedict_xvi/elezione/index_fr.htm

1.心からの挨拶とJPⅡのこと。
2.キリストへの祈りと、B16がこの仕事を引き受けることへの試練。ペトロの継承、謙虚さと委託の態度で目の前の司教たちにいろんな面での助けを求めている。
3.第二バチカン公会議の継承。
4.今年がエウカリスチアの年であることについて。
5.対話の神学が必要なことについて。
6.諸宗教との対話を続けていくことについて。若者への心から挨拶。
7.終わりの挨拶。
というわけで...この中の3.をご紹介。
・・・・・・・・・・・
3.私の前にはJPⅡの証言があります。彼は、より勇気のある、より自由な、より若い教会を私たちに残してくれました。その教えと実践によれば、この教会は、平静さをもって過去を見つめており、将来に怖れを抱いていません。ジュビレの年、教会は、第二バチカン公会議の読み直しを通して、今日の世界に適応できる福音をその手に携えながら、新しい千年期に入りました。JPⅡは的確に、「羅針盤」としての公会議を、三千年期への大きな海への方向を示すものとして位置付けました(新しい千年期を迎えるための使徒的書簡、p57−58)。同じように、霊的遺言の中でも彼は言っています。「20世紀の公会議が私たちに惜しみなく与えるものは、これからも長く、また新しい世代にも、私たちに豊かさを注ぎ続けるだろうことを、私はまったく疑わない」(17、Ⅲ、2000)。
私もまた、したがって、ペトロの継承としての奉仕を始めようとしている今、第二バチカン公会議の施行という活動の中で進んでいくことを、大きな確信とともに確認したいのです。それは、私の前任者である教皇たちの足跡において、また、二千年の伝統に誠実であるという連続性において確認したいのです。特に、今年は、第二バチカン公会議後40周年という記念の年にあたります(1965年12月8日閉会から)。これだけ年を重ねても、公会議文書は、その現実性を失ってはいません。その教えは、教会と現代社会の新しい要求の視点においてもまったく有効なのです。

そういえば、今年で第二バチカン公会議閉会から40年。
このブログのプロフィール写真にも薄っすらのせているのは公会議文書カバーです。
カバーだけではなくて、ちゃんと内容を読み込みたいという思いをこめて、
載せてみるわけです。
今こそ、もう一度読んでみる必要を感じる。
たとえば、こんなことが書いある。

現代世界憲章、序文
1.現代人の喜びと希望、悲しみと苦しみ、特に、貧しい人々と苦しんでいる人々のものは、キリストの弟子たちの喜びと希望、悲しみと苦しみでもある。真に人間的な事がらで、キリストの弟子たちの心に反響を呼び起こさないものは一つもない。それは、かれらの共同体が人間によって構成されているからである。かれらはキリストにおいて集まり、父の国への旅において聖霊に導かれ、すべての人に伝えなければならない救いのメッセージを受けている。したがって、この共同体そのものが人類とその歴史とに、実際に深く結ばれていることを自覚している。
2.そこで第二バチカン公会議は、教会の秘跡をもっと深く理解するよう努力した後、今はためらわずに、教会の子らとキリストの名を呼ぶすべての人たちばかりでなく、人類全体に話しかけて、現代世界における教会の現存と活動について、教会自身がどのように考えているかを、すべての人に説明したいと望むのである。
 公会議はここで、人間の世界、つまり人類全家族とこの家族がその中で生活している諸現実の総体を思い浮かべている。それは人類の歴史が演じられている舞台であり、人間の努力と失敗と勝利が刻みつけられている世界である。キリスト信者はこの世界が、創造主の愛によって造られ保たれ、罪のどれい状態に陥ったが、キリストの十字架の死と復活とによって、「悪しき者」の権力が破壊され、解放された世界であり、こうして神の計画に従って改善され、ついには完成に達する世界であると信じている(p327)。
第二バチカン公会議―公文書全集、南山大学監修、サンパウロ、1986

40年前に書かれた文書を、もう一度読み直し、かみしめ、語りなおす。
自分のあり方を振り返り、行いなおす。
「ある」ということ。
現代人の、喜びと希望、苦しみと悲しみ。
人間であるかぎり、この世界に無縁ではない。