あふれるほどに

わたしは主なる神に祈り、罪を告白してこう言った。「主よ、畏るべき偉大な神よ、主を愛しその戒めに従う者には契約を守って慈しみを施される神よ、わたしたちは罪を犯し悪行を重ね、背き逆らって、あなたの戒めと裁きから離れ去りました。あなたの僕である預言者たちが、御名によってわたしたちの王、指導者、父祖、そして地の民のすべてに語ったのに、それに聞き従いませんでした。主よ、あなたは正しくいます。わたしたちユダの者、エルサレムの住民、すなわち、あなたに背いた罪のために全世界に散らされて、遠くにまた近くに住むイスラエルの民すべてが、今日のように恥を被っているのは当然なのです。主よ、恥を被るのはわたしたちであり、その王、指導者、父祖なのです。あなたに対して罪を犯したのですから。憐れみと赦しは主である神のもの。わたしたちは神に背きました。あなたの僕である預言者たちを通して与えられた、律法に従って歩むようにという主なる神の声に聞き従いませんでした。
ダニエル書9章4−10

あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」
ルカによる福音書6章36−38


いったいこの大聖堂が何年かかって創られたんだろうね、なんて喋りながら、
ぐるぐる、ぐるぐる、廻ってみたんだけど、つまり、
http://perso.wanadoo.fr/.diocese.chartres/cathedrale/
ということのようだよ・・・
ファサードをクリック!ご覧くださいまし。シャルトル・カテドラル。
そしてさらに探検をすすめる我々は、ラビリンスを発見。
ラビリンスをクリック!。
我々旅人は、この祈りの迷宮を、ひざまずきながら、
ぐるぐる、ぐるぐる、廻ってみたいと思った。
祈りのかたちは、その土地の宗教性と融合し、洗練され、身体性となる。
ラビリンスとキリスト教の関係を述べよ、と言われても、
時代が・・・としか言いようのない神秘にくるめられる。
赦しなさい、そうすれば赦される。
けど、ほんとうに赦されることがとことんわかるまで、
この祈りの迷宮をぐるぐる廻らないと気がすまない、そういう弱い人間性もまたホントだ。
ニュートラルなんて、絶対になれやしない。
あふれるほどに言いたい事言って、あふれるほどに赦しを乞う。
友って、そういうことだよね。