主を求めよ。主の裁きを行い、苦しみに耐えてきた/この地のすべての人々よ/恵みの業を求めよ、苦しみに耐えることを求めよ。主の怒りの日に/あるいは、身を守られるであろう。わたしはお前の中に/苦しめられ、卑しめられた民を残す。彼らは主の名を避け所とする。イスラエルの残りの者は/不正を行わず、偽りを語らない。その口に、欺く舌は見いだされない。彼らは養われて憩い/彼らを脅かす者はない。
ゼファニア書2章3、3章12−13

兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。
1コリントの信徒への手紙1章26−31

エスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。
「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある」。
マタイによる福音書5章1−12a

beatitude
よろこびのことば。
・・・
神の山にのぼり、弟子たちと一緒に座り、彼の声を聞く。ふと思った。
なぜ、わたしはあなたに神の名を語ってはならないんだろう。
なぜ、わたしは語ることができないんだろう。
あなたはその部分にくると耳をふさぎ、
わたしはその部分にくると口をとじる。
徹底回避。
それ以外のことはすべて、一緒なんだねって微笑みあって、
それはそれでよろこびなんだとする、ということなのか。
彼のためにののしられ、
迫害され、
身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられる、
わたしが神の名を語らないなら、このようなことからは逃れられる。
弟子たちと一緒に座り、神の山のなかで、彼の声にわたしの声をかさねる。
よろこびの声がこだまする。