主の降誕

12月24日真夜中*1

闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
あなたは深い喜びと
大きな楽しみをお与えになり
人々は御前に喜び祝った。
刈り入れの時を祝うように
戦利品を分け合って楽しむように。
彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を
あなたはミディアンの日のように
折ってくださった。
地を踏み鳴らした兵士の靴
血にまみれた軍服はことごとく
火に投げ込まれ、焼き尽くされた。
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。
ダビデの王座とその王国に権威は増し
平和は絶えることがない。
王国は正義と恵みの業によって
今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。
万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。
イザヤ書9章1−6

実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。
テトスへの手紙2章11−14

そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
ルカによる福音書2章1−14

神がこの世に生まれたとき、飼い葉桶にしか居場所がなかった。
それは、
初めからあったもの、
わたしたちが聞いたもの、
目で見たもの、
よく見て、手で触れたもの――すなわち、いのちのことば*2の神秘の現場を示している。
ところで、
クリスマスには小さな馬小屋をつくって、牛やロバ、羊の人形を入れて、その中に、マリア、ヨセフ、幼子イエスを置き、天使も飾って、これが、クリスマス!ってことになってる。
しかし、なんで、牛、ロバ、羊なんだろか。
マリア、ヨセフ、幼子イエスはいい。けど、動物の記述はどこにもないんだよね。
その理由はつまり、なんと言っても、彼の居場所が、飼い葉桶、だから。
家畜の餌の入れ物、牛の匂いやヨダレがぷんぷんするような、そういう入れ物。
で、牛がそのおーっきなギョロっとした目で、彼をじーっと見てる、ロバがそのおーっきくてピンと立った耳で、飼い葉桶の揺れる音を聴いている、羊がその汚ったないけどふわふわした毛をふるわせながら、知らん顔してる・・・この登場動物は、まさに神秘の現場の言語活動を支えてくれてる方々なんですね。
天使に招かれた羊飼いたちは、この馬小屋の様子を見たわけでしょ、
どう思っただろうね。
うわぁお、って言っただろか。

*1:「主の降誕」礼拝、ミサは12月24日の夜7時とか、夜9時とかですが、もともと夜中0時をまわってからの集会なので、24日真夜中となります。

*2:ヨハネの手紙1.1