ヨハネ、エリザベト、ザカリア

見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は/突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者/見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れるとき、誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。彼は精錬する者、銀を清める者として座し/レビの子らを清め/金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を/正しくささげる者となるためである。そのとき、ユダとエルサレムの献げ物は/遠い昔の日々に/過ぎ去った年月にそうであったように/主にとって好ましいものとなる。見よ、わたしは/大いなる恐るべき主の日が来る前に/預言者エリヤをあなたたちに遣わす。彼は父の心を子に/子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって/この地を撃つことがないように。
マラキ書3章1−4、23−24

さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。
ルカによる福音書1章57−66

ザカリアは祭司、妻エリザベトは不妊の女で、二人とも年をとっていた。
ザカリアが聖所に入って香をたいている時、彼のもとに天使が現れ、エリザベトの懐妊の預言を告げた。それ以来、ザカリアは口がきけなくなっていた。
口がきけなくなっていた、か。
しかし今年はなぜだかこんな象徴的な読み方をして不思議だな。
まいいや、とにかく。
祭司が黙らせられるって、これ、どういうことなんでしょうね。
ザカリアとエリザベト。
主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった(ルカ1章6)。
彼らは、立派な宗教者だったわけです。
彼らのいきいきとした宗教的日常生活がまるで見えるような気がします。
口のきけなくなってたザカリアの口が開き、舌がほどけ。
そしてヌヴェル・パロールの予感。