広島カープ

1975年の広島。南区にある大河小学校。
わたしは小学校4年生で巨人ファンだった。
クラスでたった二人の巨人ファン。
いつもは人気者だった男の子とわたし。
教室では優勝の場面を見てもいいというクラス担任の許可で、
みんなでテレビでカープ戦を観戦してた。
そして、勝った。優勝した。
その時、カープファン筆頭の悪ガキが、巨人ファンは教室から出てけーと言った。
いつもは人気者で頭のいい男の子とわたしは教室を出ていった。
うら覚えだけど、その時出ていったことは覚えている。
廊下で、二人で話すこともなく、
ただ、それぞれ黙って、教室内のみんなの歓声を聞いていたような気がする。
今、思えば、もしかして、そういうことだったのか?
いつもは人気者で頭のいい男の子は学級委員とかしたり、足も速いし、スポーツマンで、しかも、もててた。
出てけーって言った子が、なんでもないわたしをわざわざ出て行かせる理由もない。
わたしはごくごく普通の可もなく不可もない小太りの女の子だった。
あの悪ガキはもしや、ここぞとばかり、仕返しをしたのか?
いつもは人気者で頭のいいスポーツマンの男の子をやっかんでいたのか?
で、この機に乗じて、やってしまったのか、うさ晴らしを。

この写真、このまえの優勝の前の前の試合だ。
わたしは父親と広島の友人たちと半年前から取ってたチケットゆえにマツダスタジアムに観戦に行った。
わたしがカープファンになったのはいつからだったのか?
はからずも、この日の試合で、父が、
「こいつはずっと巨人ファンじゃったんじゃけ」と言い、
友人たちは、えーそうだったんですか?と言い、
上記のエピソードを久しぶりに語った。

わたしはかつて巨人ファンだった。
そして今はカープファンになっている。
このたびの優勝は感動しているし、泣いたし、嬉しい。
しかしどのように喜んでいいのかがわからない。
もしかすると、カープファンであることを意識して初めての優勝じゃないか。
小学四年生のあの時に、やっぱり広島に住むからにはカープファンじゃないと生きていけないと悟ったか。
広島から父の転勤で愛知県に行き、中日を応援する気にもなれず、いつしかカープファンになったのか。
それとも、広島=故郷へのノスタルジーでそうなっているのか。
まったくわからない。
いつからカープファンになったのかわからない。

けれども、それにしてもだ。
広島生まれです、カープファンです、というのはいかにわかりやすい話だろうか!

といわけで、とにかく、優勝おめでとうございます!


はじめてのカンボジア


そうだ、そもそも「カンボジアが苦手」だったんだ。
なんかわかんないけど、昔から、「カンボジアに行かなければならない」「カンボジアにふつう行くものだ」「カンボジアに行かなきゃなんにもわからないだろ」的な強迫観念がどこかにあり、しかも大の苦手の「体験学習」的な要素もからまって、「カンボジアに行くの躊躇する」になっていた。
しかしなぜだか私に白羽の矢が飛んできて、あっさり強迫観念が取り去られ、とうとう「カンボジアに行ってしまった」。
というわけで、カンペキに、「カンボジアに、はまった」。
また「カンボジアに行きたい」。いや「カンボジアに当然また行く」。
何しに行くってわけではない、たぶん友情が芽生えてしまったってことだ。

[生] 夏風邪

とうとう夏風邪をひいてしまった。ここ数年、夏風邪なんてひいたこともないし、はっきり言って、「夏に風邪〜?」「え〜?」みたいにばかにしていたところもある。しかし、夏風邪ってほんとうに辛い。治しようがない感じ。だるいし、汗かいても改善した感じにならない。冬の風邪はね、ストーブからなにからつけて、あったかくしてね、汗いっぱいかいて、すっきりするんだけれど、今回は違う。
もののインターネットでの教えによれば、睡眠をしっかりとって、安静に、とある。そもそも身体全体がだるくて仕事をする気も起こらないので、そのとおりにすることにする。
学校に行ったら、風邪だらけ。
教室でも咳をしたり、鼻をかんだり・・・
ああ、流行ってるのね。わたしだけじゃないのね。

二人の教皇



http://www.la-croix.com/Urbi-et-Orbi/Vatican/Benoit-XVI-soutient-ligne-misericorde-voulue-pape-Francois-2016-03-16-1200747089

この二人がどれほど支え合っているか。それはけっして疑いえないし、長年の信頼関係も強い。けれども2013年にベネディクト16世が引退し、フランシスコ教皇になって3年、不思議に感じるカトリック教会のこの風通しの良さはなんだろう。いつくしみの聖年、福音の喜び、ラウダト・シ、愛の喜び・・・「喜び」に基礎づけられたフランシスコ教皇の語られるメッセージに誰でもアクセスできる。
久しぶりにベネディクト16世の本を読んでいて、それはそれで心熱くなる。しかも今、日本では憲法改正が争点になっていて、このまま参議院自民党議席3分の2以上になった場合、その行く末に何が待っているんだろうと考えると、ベネディクトの堅固なメッセージに背筋が伸びる思いになる。キリスト者が言葉と行いで示すのは「真理に根ざす愛」。真理とは、神がこの世に来たこと、そして神が愛によってこの世をずっと導いていくということ。人類はみな、この世で生きて、死んだ、イエス・キリストの姿を見て、彼に聞くことだ、愛とは何かを。キリスト者はその真理を知っていると同時に、いつも、真理に浄められなければならない。真理に根ざさない愛はなく、愛に根ざさない真理はない。
この断言的な言葉づかいに自分の心のうちにある葛藤をぶつけてみる。
安心する。そうだよね、そのとおりだって思う。なにか自分自身が強くなった気持ちになる。そして、みんなも分かったらいいのにって思う。しかし、わたしは変わらない。どこもなにも変わっていない。
フランシスコの形容詞的な言葉づかいは、逆に、自分は大丈夫か?って問いたくなる。喜んでいるか、愛しているか、ゆるしているか・・・わたしはほんとうにイエスに従っているか、と。不安ではないが、安心してはいられない。キリスト者であることになんの保障もないのだ。いや、それ以上にキリスト者であるなら、あやまらなければならない、もっとゆるしを乞うべきだと。

「キリスト教徒は同性愛者に謝罪するべき」、ローマ法王 写真4枚 国際ニュース:AFPBB News

さらに法王は「そうした状態(同性愛)の人が善良な人物で、神を求めているとしたら、その人を裁く資格が私たちにあるだろうか」と付け加えた。

ベネディクトとフランシスコ。この二人は、二人で一人のような存在だ・・・

トラディショナル・ミサ

RORATE CÆLI: For the record: Papal Announcement of New Cardinals


今回枢機卿に任命された15名のうちのお一人。メキシコから…

実はトラディショナル・ミサなるもの、与ったことがない(^^;)

やっぱり司祭の祭服の背中の刺繍がすごいもんだな(現在この方は司教)。じゃないと恰好にならないんだろうね。背中をずっと会衆に向けているわけだから。これも文化。わたしにとってのミサは「ともに捧げる」というアイデアしかないもんだから、21世紀の今(写真は2013)こういう写真を見ると逆に興味がわいてきて一度「見てみたい」という気持ちになる。

・・・と、ここでわたしの心へ注目は「見てみたい」という好奇心。けっして「与ってみたい」という気持ちが起らないことだ。それはわたしだから。そういう歴史をもつわたしだからだ…

経験のなかの信仰

こころをよむ 物語のなかの宗教 (NHKシリーズ)

こころをよむ 物語のなかの宗教 (NHKシリーズ)

「物語のなかの宗教」というテーマを見て、これだ!と思った。「宗教のなかの物語」じゃない。さっそく本を購入、今日はその第一回の日だったのだけれど、録音を失敗してしまい視聴できなかった。残念… でも、第一回めの文章を拝読しとても心が温かくなった。心が動いていることがわかる。物語を読んでいると心が動くんだよな。その心の動きが自分のなかのどこかに響いてきて、共鳴して、何かを思いだしたり、場面を想像したり、新しいことばが浮かんで来たり、そういうものが引き起こされるのが物語なんだな。

そういった物語のはたらきの中に、そのはたらき《自体》と言っていいのかな、はたらきの《中》って言うとはたらきが別にあるような感じがするからね、つまり、心が動かされるはたらきそのものは、実は、《宗教》がずっと担ってきたはたらきなんであって、そのはたらきは、いわゆる《宗教団体》だけが所持できるような代物ではなくって、誰でもアクセスできるし、誰でも受けとれるというようなものなんだってことなんだろうね。

それはほんとうにそうなんですよね。

なんか、特権みたいに宗教団体の信仰者だけがアクセスできる物語だったら、それは排他的だし、拝外的なコードだ。そうなったら、物語でもなんでもないわけだ。

けれども、けっこうこの話しというのは誰もが「そうだそうだ」って言うと思うけれど、意外に、信仰言説、あるいは聖画のようなものも「自分のもの」的な使い方が多い。つまり「宗教のなかの物語」的な使い方が多いんだ。

フランスにいた時、宗教芸術専門のシスターがいて、徹底的に聖書の使用や聖画の使用を注意していた。もしや「物・扱い」していないか?自分の主張の証拠のように、あるいは印籠のように使ってはいないか?けっこうセンシティブな反応をしてくれた。《物語》であるためには、万民に「解釈自由」な余地を残しておかなければ、そのような余地が残せる提示でなければ、物語を物語として扱っていないことになるってわけだ。歴史的共存の地平に立つということは、徹底的に、他者のことを思い計らなければならないんだ。自分勝手にはなれないよ。

「物語のなかの宗教」はすなわち「経験のなかの信仰」に相当するんだと思う。それは相対主義なんですか?という質問がすぐに来るだろう。それに対してはノーと言いたい。なぜなら、宗教を行為する《わたし》、信仰行為をする《わたし》は、みんなのものである物語に包まれたとしても、誰もがするだろう経験のなかにいたとしても、けっして他の誰でもない《わたし》を保ち続けることができるのだから。それこそ逆に、物語につまっている宗教のはたらきの《おかげで》《わたし自身》を保ち続けることができるんだ。さまざまな経験につまっている信仰のはたらきのおかげで、わたしをわたしとすることができる。そこは共有しないともったいない。

…あと、もう一つ思ったのだけど、宗教学に取組んでおられる方々の《実存的な宗教性》というか、なんか、もしかして、最近、そこは遠慮なく表現されてきている傾向にある?宗教学という学問と神学の間の境界がこの100年200年の時間の中でものすごい歩み寄っているのではないか?という感じがしているけれど、どうでしょう?感覚でしかないのだけれど、20年前の感じだったら、もう少し、宗教学はニュートラルというか、クール?というイメージだったんだけど、最近の宗教学、宗教社会学の方の講演会などうかがうと、お〜熱い!と思ってしまう、のは私だけ?

宿屋


IMAへの投稿

「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったから」

 クリスマスが近づくとやっぱり嬉しくなる。街中がやさしい色で飾られて、光が灯り、冬の寒さをかき消すように目を楽しませてくれるものでいっぱいになるからだ。「クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日なのですよ」って、カトリック学校関係者らは学生たちに何度も何度もお話しする。聖劇をみんなで演じてみたり、馬小屋を飾ってみたりして、マリア、ヨゼフ、そして赤ん坊イエスの誕生の温かい家族の情景を描いて、これこそクリスマスなのです、という説明する。わたしも数えきれないほどクリスマスはイエス・キリストの誕生の日ですよって語ってきた。楽しくって嬉しい、でも、それだけじゃないんですという言い方で語ってきたように思う。
 もちろん、そうしか言えない気持ちもどこかにあるのだけれど、今年は、なにか、自分自身の心に見えている情景が違っているような気がして、クリスマスは楽しくって嬉しい、でも、それだけじゃないとは言っていない。わたしは、今年、目の前に飼い葉桶しか見えていない。飼い葉桶―――家畜が食べる飼料で充たされている桶だ。そこには牛や馬が貪り喰うために入れられた乾燥させた牧草や雑穀などが入り混じって入っていただろう。我れ先にといって鼻先をつっこみ貪り喰う牛や馬、羊の臭いが染み付いていたに違いない。聖書記者は、飼い葉桶を意図的に世の描写に使用している。イエスの時代、世の中はきっと飼い葉桶のようなものだったんだ。他の誰よりも先に喰うものにありつけるよう、強者がこぞって鼻先をつっこんでいた世界。富を欲望のままに貪り喰う、そんな臭いのする世界。わたしは今年、クリスマスを説明するために一生懸命飼い葉桶を描写し、語っている。なぜかそうせざるを得ない衝動にかられている。
 受肉―――神さまがこの世で生まれる。
 天の彼方にいます方が、この世のまっただ中で人間のからだとなって、その心臓の脈でこの世を生き、飼い葉桶に染みついた臭いの空気を呼吸し、愛というのはこういうことだとその口で、その手で、徹底的に人びとに触れていった、そういう受肉の秘義を、今年もたくさんの方々が一緒に生きておられると思う。飼い葉桶というこの世の真ん中で、生まれられた神さまとともに恊働する人たちこそ、マリアであり、ヨゼフであり、赤ん坊イエスの姿なのではないだろうか。だから、そうなるとやっぱり、宿屋じゃないし、宿屋は彼らの泊まる場所ではなかったんだと分かる。
 この世に生まれる神さまが真に働かれるのは宿屋じゃない。そして、「神さま、わたしのところに来てください」と呼び、叫ぶとき、わたしが宿屋じゃなくてもいい。わたし自身が欲望にまみれた飼い葉桶だとしても、そこに神さまをお迎えする。ここに、生まれてくださるのだから。そして、わたしも無理して宿屋に行かなくていい。わたしも飼い葉桶に行って、神さまがなさっておられるその働きを、わたしのこの目で確認する。飼い葉桶をもっともっと描写し続けると思う。    (IMAへの投稿文書 はらけいこ)