ヒロシマ−相対化

karpos2007-07-17



id:ryotoさんのブログ、ヒロシマ関連で興味深い記事を拝読す。
リーバー理事長 - for dust you are and to dust you will return

しかし、原爆という出来事の悲劇性を考えるとき、アメリカ人を館長に据え、「アジアの人たちの意見を聞く」という行いが、原爆の悲劇性を相対化してしまうことがあり得るのではないか、と思う。

アジア諸国の意見を聞くヒロシマ」というあり方自体問題を感じないが、そのような主張をする館長でいいのか?という疑問とのこと。なるほどなぁと思う。
ところでわたしはこの前、「仕方ない」発言関連で↓のようなことを書いた。2007-07-05 - 新生★KARPOS

わたしには「原爆、ゆるすまじ」「二度と、ゆるすまじ」が骨の髄まで浸み込んでおり、それを剥がすことはできない。それでもって、根本的なところで「恨」があるというのは、もう運命としか言いようのないものを感じるわけだ。

これがまさしく被爆者やその関係者つまり「当事者」の言い分。自分で言っておいて矛盾するかもしれないがこうも言える。
被爆者やその関係者たちだけが原爆の悲劇性を訴える資格があって、他にはないのか?もちろんryotoさんは「被爆者やその関係者こそが」とは言っておられない。しかし「じゃぁ誰だったらいいのか?」という疑問も即座に出てくる。
わたしが書いたこの「骨の髄まで」の部分を徹底的にやっていこうとすると、ある種の宗教のようなもの「ヒロシマ教」やら民族性「ヒロシマ民族」のようなものが必要だ。そういう次元は「血」として綿綿と続いていくはずのものであるが、ヒロシマはそうはならなかったし、そうなってはいない、とわたしは考えている。
もちろんまったくゼロとは言えない、夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス) - はてなキーワードが証明してくれる。
でも実に「原爆の悲劇性の相対化」は原爆投下の直後から始まっており、平和記念館の館長さんがアメリカ人になって「アジアの・・・」なんて仰るずっと前から、進んできていると思う。
被爆者が原爆投下をした合衆国から全ての援助を得たこと、平和記念館が建てられたこと、記念館にありとあらゆる被爆者そのものが「展示」されたこと、広島の再建が世界の支援によって成り立ったこと、記念館がさまざまな人の手で新しく建て変わったこと、そしてまたこれからも建て変わって行くこと・・・
ヒロシマの目指す復興は「万民のための故郷」広島平和記念資料館。ここまで来るほどに相対化したのかとわたしは個人的に感慨深いものがある。相対化は免れない。
そういうわけで、「アジアの意見を聞きながら」というのを聞いて、しかもそれを「反核」のアメリカ人の口から聞いて、相対化というよりも普遍化、原爆は断固としてダメなんですよという決意の普遍化のようなものをわたしは感じている。