ヒロシマ独立論


夏、岩波ホールヒロシマナガサキを観に行ったとき2007-08-19 - 新生★KARPOS
Hさんが岩波書店ヒロシマナガサキ・フェアーしてるらしいと言うので立ち寄ったときに買ってた本。

ヒロシマ独立論

ヒロシマ独立論

まずタイトルの「独立論」でいきなりスタンスが、そして「1964年広島生まれ」というので親近感が・・・
著者の東氏は音楽評論家ということで非常に専門的というか、音楽の話になると私にはけっこう新しいジャンルで「あ、聞いてみたいな」という感じ、レコード屋さんのよくジャケットの前に書かれているおすすめカードを読んでみるみたいな感じだった。こういうのを読んで「あ、聞いてみよう」という思う感覚ってなんだか懐かしい。私が高校生くらいだった頃の渋谷陽一さんだっけかラジオとか聞いてへぇ〜と思ったものだった。もちろんこのご本自体、音楽評論というか「ヒロシマ論」なので、そういうアプローチというか、ま、だからこそ、聞いてみたいと思う気持ちも強くなるんではあるな。
面白いのは、読み進めていて、二つの次元でとっても近いもの、共通経験のような部分があって、そこがトントン拍子にすすんでいくので、この本、あっという間に読み終えてしまえたってこと。
二つの次元のまず一つ目は同時代を隣接学区で生きているという・・・
映画『夕凪の街』について書かれている箇所で、映画に出てくる人物名が皆実、旭、翠、霞という広島市旧市街南東部の町名になっているということを指摘され、

(ここは)爆心地から四キロ以上離れていて、比較的被害の少なかった南東部の地域であり、北から霞、皆実、そして、その南西側に旭、南東側に翠がある。広島市の出身者や在住者のなかでも気がついた人はそれほどいないのだが、私が驚いたのは、まさにこの地名の連辞する辺りが私の地元だからである。p48

私の地元もここなんだな。そして、宇品線が消えたって話のところでは、

私が通っていた小学校のすぐ脇を走っていた宇品線は、既に線路もはがされて、一部は大きな道路となり、一部は不思議な空間になっている。私が通っていた小学校の脇までは小さな入江になっていて、ほとんどどぶ川のようなその入江の上には鉄橋がかかっていたので、そこでよく遊んだものだ。今は、その鉄橋も撤去され、入江も埋め立てられている。さらに、その百メートルほど南では温泉が出たとかで健康ランドになってるいるのだが、「不思議な空間」は、その脇を走っている。p。81

こうなると決定的ですぐ脇の小学校といえば私の通った小学校かもう一つということである。もしももう一つの小学校だとすると子どもだった私にとっては宇品線のむこうの小学校(=未知の国)ということになる。
読みすすめていくうちにだんだん子ども時代の風景が鮮明に甦ってくる、あの頃の宇品線で遊んだ子どもたちの姿がムクムクと湧き上がってくる、そんな奇妙なスペクタクルを味わわせてもらった。なんか、昔からこういう日が来るのを待っていたかのような感じもする。
あの頃はまだ宇品線も一ヶ月に一回くらいは電車が走ってたんだ。今日は電車が通る日だから線路で遊ばないようにとか、そういう注意を先生がしてた。そして、そういう日にかぎって十円玉を線路に置いてペッシャンコにして遊ぶ悪ガキがいたのもそうだった。入江の上の鉄橋も何度も歩いた。ドブは昔はそこまで海があったというなごりなんだ。「昔はそこまで海だった」ってよく聞かされたものだ。ドブに落ちたこともある。落ちたというか子どもうちでは勇気くらべだった。誰がドブに落ちた棒切れを拾えるか、足下くずれて全身ドブまみれになったことがある。
だからたぶん東氏は宇品線を隔ててもう一つの小学校ご出身なのだろう。野球やサッカーについても軽く触れられているけどもしうちの小学校ならサッカーに関してはもっと誇られるはずだし。どちらにしても、めっちゃ近い。
次に近いのは、ヒロシマを「独立」させようとする心の動きである。
私はかねてからこの感じを「聖地」という言葉でなんとかしようと思ってきた。ヒロシマに行くというのはある意味で聖地に巡礼に行くという感覚なんだと整理しようとしてきた。「独立」も「聖地」も、その空間を非日常化しようという心の動きだから何かしら近しいものがある。東氏が二世かどうかは知らないけど(それをあえて言おうとすることも「ひろしまの子」なんだと思うけど)、被爆後20年経った後にそこに生まれたこの世代がもしも自分の地を何か特別なものにしようとしているという共通経験があるならそれはそれで実はスゴイことなんじゃないかと思うわけだな。
読み進んでいくと「解放の神学」という項があり息を呑んだ。

1980年前後にこの街で高校時代を過ごした私たちは、「カトリック正義と平和協議会」、いわゆる「解放の神学」派に属する西尾禎朗先生たちに導かれてこの石碑(在日朝鮮人被爆者慰霊碑)にまつわる学習・運動に取り組んだことがあった。その時に出会った「反核運動」への絶望は、今語っても仕方がないと思う。そのころ、広島では「加害よりも被害を語れ」ということで、主力となる団体は高校生が在日朝鮮人被爆者について学習・運動をおこなうことについてあまりいい顔をしなかったのだ。それでも西尾先生は、私たちを光州事件に抗議する在日朝鮮人・韓国人の集会にも連れて行ってくれたし、「文化的なところから政治について考えてみたいと思います」と相談すると、アジア・アフリカ作家会議の本を教えてくれたりもした。p。129

中高一貫の某私立学校でカトリックといえば一つしかないんだけど、広島出身でカトリックの影響を少なからず受けた者の思想傾向というか。あんまりそこを強調するつもりもないし、そうでなくても「独立論」は当然あり得るわけで、ただ、私自身が考えていることはけっこう他の同世代の「ひろしまの子」も考えているんだなという意味で安心した感じがする。

広島は、死者と生者、二種類の他者に凝視され試されている都市だ。p15

栗原貞子の「生ましめんかな」について

生と死の連続性があって、さらに、それは「他」なるものの連続性だ。「母性」としての「女」や血筋ではない。さらに、もうひとつ重要なのは、これはあくまで無名の、だが、固有の、「死」であり「生」であることだ。p25
栗原の「生ましめんかな」もまた、その自身の悔恨と死者の無念を浄めるかのような詩編としてある。p29

生と死をめぐって葛藤しながらたどり着いた「ことばの磁場」のようなものを感じる。
いや、わかりますって言いたい。
ヒロシマの独立論「どこかヴァチカン市国に似た発想でもあるかもしれない」(p206)と書かれている。エルサレムチベット、何かやはり「聖地」のようなイメージもあるんじゃないか。

だが、そうした諸都市・地域とは異なり、ヒロシマは現行の世俗宗教の場ではない。ヒロシマは超国家・超宗教の空間として、世界中に開かれた理念のサイトとしてのみ機能する。原爆ドームは既に「世界遺産」に登録されているが、ある意味で、その空間及び意味の拡大でもあるだろう。p206

ヒロシマという空間、ヒロシマという時。