またもや
デザインを変えてしまいました^^;
これを読んでみて、広島の証言が気になって資料館におもむく。
- 作者: ジョルジョ・アガンベン,上村忠男,広石正和
- 出版社/メーカー: 月曜社
- 発売日: 2001/09/01
- メディア: 単行本
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広島では被爆の継承問題が切実になってきて、とにかくできるだけの「語り」を「残そう」という動きになっていることを知った。当然だろう、今を逃せば、もう語られることがゼロになってしまうのだ。語っていただける方には語っていただき、ビデオに録画したり、聞き・書きをしたり・・・という話だった。
久しぶりにヒロシマの証言の数々を読む。あぁ懐かしい「虚無」が甦ってくる。そしていつも締めくくられる「絶対に繰り返してはいけん」という思いに「脱力」する。
つまり、これも一つの――アガンベンの探究する――「語られえぬもの」「ほんものの証言者はあの日亡くなっていった人びと」に触れる体験なのだろうか。生き残った者たちの生きた語りのすきまに、語りえぬ何かが横たわり、その横たわりが分からぬように聴く者へと近づいてくる。覆われ、というような力のない迫力。
◆◆
このような日々、90歳になろうとしているある司祭の語りに触れるチャンスを得た。
すでに記憶に危うさが走る状態にあるが、笑顔で少し思い出話を話してくれた。不思議に聞いていて穏やかになれる。彼が語る語りのすきまに、語りえぬ何かが横たわり、その横たわりが何かを分からせようと聴く者へと近づいてくる。慈しみ、という包んでくれるようなやさしさ。
心配ごとは、ぜんぶ、わたしにあずけなさい。
あずけて、いいんですか?
そう、聴くまでもなく、すっかり心配ごとをあずけてた。