ヘロデ

わたしたちがイエスから既に聞いていて、あなたがたに伝える知らせとは、神は光であり、神には闇が全くないということです。わたしたちが、神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それはうそをついているのであり、真理を行ってはいません。しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理はわたしたちの内にありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉はわたしたちの内にありません。わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。この方こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。
ヨハネの手紙1章5−2章2

占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。
「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。
ラケルは子供たちのことで泣き、
慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから。」
マタイによる福音書2章13−18

まずヘロデの復習から。
ユダの王ヘロデ一世(前37〜4年在位)。「ヘロデ大王」。当時ローマ帝国支配下にあって、ユダヤ人(地方)の王として勢力的に一国を統治。エルサレム神殿の再建(増築)を果たし、他にも、カイサリア海港の創設とサマリアの再建、その他の町々に神殿,競技場,野外劇場を造り,ギりシア・ローマの文化導入に努めた。このように土木事業に余念なく、また得意の外交手腕で、当時、西アジアの有力者として君臨したのであった。
やっぱり有力者ってゼネこん強いの。
さて、ここでは、ヘロデが占星術の学者にだまされたと知って怒り、その周辺一帯の二歳以下の男の子を一人残らず殺させてしまった、ということになってる。
ヘロデを怒らせてしまった占星術学者なんだけど、マタイ2章に書いてある。

エスは、ヘロデ王の時代にユダヤベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2:言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」3:これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。4:王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。5:彼らは言った。「ユダヤベツレヘムです。預言者がこう書いています。6:『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」7:そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。8:そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。9:彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。10:学者たちはその星を見て喜びにあふれた。11:家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。12:ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
マタイ2章1−12

占星術学者たちがヘロデのところに帰らなかったので、ヘロデは怒ったわけ。
だからって怒って、身も知らぬ子どもを見殺しにすることはないでしょー(怒)。
実際、ヘロデ大王は、邪魔だーと思ったら、実の子どもを殺したり、
妻を殺したりもしてるらしいから。その人物像は計り知れない。

3:ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。4:王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。5:彼らは言った。「ユダヤベツレヘムです。預言者がこう書いています。6:『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

つまり、ユダヤの王は私なのにほんとの王が生まれたら困るじゃないかってこと。
ヘロデ王は不安を抱いた。
一人の人間の不安によって動かされてしまう世界、想像しただけでも身震いする。
マタイは預言者エレミアの書をひく。
福音書には前半の記述だけで後半は書かれてない。

主はこう言われる。
ラマで声が聞こえる
苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。
ラケルが息子たちのゆえに泣いている。
彼女は慰めを拒む
息子たちはもういないのだから。
主はこう言われる。
泣きやむがよい。
目から涙をぬぐいなさい。
あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。
息子たちは敵の国から帰って来る。
あなたの未来には希望がある、と主は言われる。
息子たちは自分の国に帰って来る。
エレミア書31章15−17

このどうしようもない世のなかで苦しくって泣いてる声。
泣くしかできない世界。
でもわかる気もする、
マタイが後半を書かなかったわけ。
泣くしかできない世界にいたら、一緒に泣くだけだよね。
なんにも言わないで、一緒にいるだけ。