もう一人の弟子

初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言について。 ―― この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。――
わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためです。わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるようになるためです。
ヨハネの手紙1章1−4

そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。
ヨハネによる福音書20章2−8(新共同訳)

ヨハネ・デーなので、岩波訳を。

そこで、走って、シモン・ペトロともう一人の、イエスがほれこんでいたあの弟子のとこに来て彼らに言う、「彼らが主を墓から取り去りました。どこに置いたのか、私たちにはわかりません」。そこで、ペトロとあのもう一人の弟子は出かけて行き、墓に行こうとした。二人は一緒に走っていったが、例のもう一人の弟子はペトロよりも速く、先に走り、(一足)先に墓へ来た。そして、かがみこんでみると、あの亜麻の布切れのあるのが目に入る。しかし、入ることはしなかった。さて、彼に続いてシモン・ペトロもやって来る。そして、彼は墓の中に入った。そして、あの亜麻の布切れのあるのを看(み)る。また、彼の頭のところにあった、あの汗ふき布が、亜麻の布切れと一緒にあるのではなく、別の離れたところで一つの場所にまるめられているのを(看る)。さてその時、先に墓に来た、あのもう一人の弟子も入って来た。そして、見て、信じた。
ヨハネによる福音書20章2−8(岩波訳)

さすが小林先生*1、こんなふうに訳してくださって、感動です。

エスがほれこんでいたあの弟子。

こうして比べて読んでみると雰囲気違いますのわかります。
動詞の並べ具合とか、迫ってくるものが違う感じがします。
何度も出てくる「布切れ」ってことばが象徴的ですね。
あの亜麻の布切れ、あの汗ふき布。
ヨハネが墓の前で立ち往生している、
彼の目に布切れが入ったり出たり。
物質的だけど、手触りとか、まだ残っている人肌の温かみとか、
これ、いろんなことをしゃべってますよ。
――それにしてもねぇ、もう一人の弟子、誰なんでしょうね。
小林先生は、

最終編集者は「愛された弟子」がこの作品の著者だといっている(三24)。この作品には最初の部分から無名の弟子が登場し(一35)、おそらくこの同じ人物が後半ではもっぱら「イエスが愛していた(あるいはほれこんでいた)弟子」と呼ばれる(一三23以降)。後半でただ一箇所「もう一人の弟子」と呼ばれる箇所(一八15−16)では、彼が大祭司と面識があったといわれる。この人物はイエスの直弟子で、この共同体の中に実在したのだという説をとる人が多い。しかしこの人が実在の人物なのか、文学上の虚構なのか、あるいはこの作品を生み出した共同体の化身(象徴)なのか、訳者にはまだ判断がつかない*2

とおっしゃる。弟子って、概念そのものなのかもと。だとすると、うむ。
学者たちの多大な努力による非神話化の作業に聞き、
テキストが座していた共同体のなかに潜り込み、
わたしはわたしで、わたしの現実を絶え間なく反芻し、再神話化へと。
もう一人の弟子は、わたし。
わたしも語る、概念になりきるヨ。わたしも学者の努力には負けないヨ。

*1:新約聖書ヨハネ文書』岩波書店1995、「ヨハネによる福音書小林稔

*2:同上p143