Ap10,8-11;Lc19,45-48

すると、天から聞こえたあの声が、再びわたしに語りかけて、こう言った。「さあ行って、海と地の上に立っている天使の手にある、開かれた巻物を受け取れ。」そこで、天使のところへ行き、「その小さな巻物をください」と言った。すると、天使はわたしに言った。「受け取って、食べてしまえ。それは、あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い。」わたしは、その小さな巻物を天使の手から受け取って、食べてしまった。それは、口には蜜のように甘かったが、食べると、わたしの腹は苦くなった。すると、わたしにこう語りかける声が聞こえた。「あなたは、多くの民族、国民、言葉の違う民、また、王たちについて、再び預言しなければならない。」
ヨハネの黙示録10章8−11

それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」
毎日、イエスは境内で教えておられた。祭司長、律法学者、民の指導者たちは、イエスを殺そうと謀ったが、どうすることもできなかった。民衆が皆、夢中になってイエスの話に聞き入っていたからである。
ルカによる福音書19章45−48

受け取って、食べてしまえ。
それは、あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い。
あぁ、試練よ。試練なしには前に進めないものなのだろうか。できれば試練なしに、スススっと前に進んでみたいものだな。受け取った巻物が、腹にも満腹、口にも甘かったら、どれほど楽々だろうか。自分ではスッゴイ大人になったツモリでも、いつまでたっても、あぁもうダメだー、こればっか。これって試練でしょ。試練のときこそ、祈りのとき。大嵐のなかでも、こんなふうに答えられたら・・・。

神の選びに間違いはなし。
でもそれは摂理のうちに属することなので、
今は理解できなくても、
顔を上げて、はいと答えたい。
(晴佐久昌英師10月17日説教「福音の森」)

エスのラディカルな怒りが、どうしても言いたい事を言ってる。わたしの内にある、あなたの内にある「祈りの家」をなんとかして守りぬけ。わたしたちの身体は、神の神殿、そここそが「祈りの現場」であるということを、そうですね、そのとおりですと、しっかり顔を上げて言えるように、まっすぐに。