わたしはひとりではない

弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
ヨハネによる福音書16章29−33

神をどのように知ることができるのか?
神を知っている者はこのように質問することはなく、
その質問自体、意味をなさない。
海のなかをどのように見ることができるのか?
海のなかに潜ったことのある者はこのような質問をすることはなく、
その質問自体、意味をなさない。
問う者は、誰か?
誰が、わたしに問うのだろう。
わたしの内に、問う誰かがいるなら、
それは、わたしの知らない者。
わたしは、わたしの知らぬ者を黙って抱きしめることでしか、
その者と関係することができない。
この神殿の内に入る。
もはや、わたしはひとりではない。
中心にたたずむ彼が、この祈りの空間を産む。
立ちすくむこと。
祈りは、包まれながら、その内側からあなたに呼びかける声。