解放を語ることば

karpos2006-01-12



マタイ2章16−18、ヘロデが子どもを皆殺しにする場面と、モーセの天敵、ファラオが子どもを皆殺しにする場面がパラレルだが、その次、エジプトからの帰国場面の比較。
モーセとイエスというよりも、ここでは、モーセとヨゼフという感じ。
しかし、構造的にまったく同一。
写真はシナイ山

マタイ2章19−21
19:ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、20:言った。
「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった。」
21:そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。

出エジプト記4章19−20
19:主はミディアンでモーセに言われた。
「さあ、エジプトに帰るがよい、あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった。」
20:モーセは、妻子をろばに乗せ、手には神の杖を携えて、エジプトの国を指して帰って行った。


さらに続いて、マタイ4章1−11、荒野の誘惑。
モーセは荒野で40年間、イエスは荒野で40日間、の試練を過ごす。

(第一の誘惑)
1:さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。2:そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。3:すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」4:イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』(申命記8.3)と書いてある。」
(第二の誘惑)
5:次に、悪魔はイエスを聖なる都(=エルサレム)に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、6:言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、/あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える』(詩編91、11−12)と書いてある。」7:イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」(申命記6.16)と言われた。
(第三の誘惑)
8:更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、9:「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。10:すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』(申命記6.13)と書いてある。」11:そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。


(宣教の開始)
12:イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。13:そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。14:それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。15:「ゼブルンの地とナフタリの地、/湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、/異邦人のガリラヤ、16:暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」17:そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。


第一の誘惑、おなかがすく。出エジプト記のマナの箇所(出エ16章)
第二の誘惑、生きるか死ぬか。40年間の荒野の旅全体、試練をどう受容するか。
第三の誘惑、すべての繁栄を自分のものに。荒野の旅の最後、モーセは約束の地に入れない(申命記34章)


こうして、イエスの宣教開始。「悔い改めよ、天の国は近づいた」は洗礼者ヨハネの言葉と同じ。

マタイ3章1−12
1:そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、2:「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。3:これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」4:ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。5:そこで、エルサレムユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、6:罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
7:ヨハネは、ファリサイ派サドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。8:悔い改めにふさわしい実を結べ。9:『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。10:斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。11:わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。12:そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」


こうして、イエスの洗礼・・・すぐあと。

13:そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川ヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。14:ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」15:しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。16:イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。17:そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。


全体の構造を見ると、

  • 洗礼者ヨハネ、「天の国が近づいた・・・」(3.1)
  • 「天が(イエスに向かって)開いた、神の霊が降ってくるのを見た」(3.16)
  • エスの宣教開始、「天の国が近づいた」(4.17)

となってる。


「天の国」とは、ユダヤの習慣で「神の名」を呼ぶことを避けるために用いられたタームで、すなわち「神の国」。


神が天から地に近づく、来てくださいと願う、旧約の世界。

あなたの統治を受けられなくなってから
あなたの御名で呼ばれない者となってから
わたしたちは久しい時を過ごしています。
どうか、天を裂いて降ってください。御前に山々が揺れ動くように。
イザヤ書63、19


しかし、マタイの記者は旧約聖書にめちゃくちゃ詳しかったんだろな。エジプト脱出から1000年、バビロン捕囚の解放から500年ほどの歴史を身体的に浸透させてる徹底さを感じる。こういう歴史感覚は、わたしには逆立ちしてもたどり着けない。だいたい、歴史感覚を身につけるという言葉からして嘘っぽい。
そういう歴史にどっぷり浸かったマタイが、自分(話者)にとっても、相手(他者)にとっても、「他者」(絶対他者?)であるイエス・キリストについて、何か言わんとしてる。この人物は、わたしの歴史に関係がある、しかし、受け入れることが恐ろしく難しい。
前に、「絶対他者」について「語った」(記述、言語化も含め)とたんに、それは「絶対」でなくなるだろうという質問をされたことがあって、ずっと考えつづけている。マタイ(他の福音記者たちも)はどうなんだろ。とりあえず、ここで小休止。