東方で見た星

karpos2006-01-09



マタイ2章1−12つづき


10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。


原体験ということかな。
喜びに包まれているという経験。


その前の箇所をみると「東方で見た星」に囲まれる構造が浮き上がる。

Mt2章1−9


ユダヤ人の王として生まれた方はどこか?と東の方から占星術の学者が来る。
東方でその方の星を見たので拝みに来た(占星術の学者は異邦人)。

  • ヘロデ王は民の祭司や律法学者に「メシアが生まれるのはどこか?」と問う。
    • 旧約の引用:ミカ書5.1*1

ヘロデ王の言葉を聞いて、占星術の学者たちは出かける。
東方で見た星が先立って進み、幼子の場所の上に止まる。


そして、これに応えるように・・・

10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。


東方の星と、占星術の学者で囲まれた中心に据えられてるのは、イスラエルの牧者、いちばん小さい者でありながら、いちばん小さい者ではない。幼子として証言されるイエスの現存。このコンチェントリック*2な手法はまさしく?


星は、神の直接的介入のシンボルとして、異邦人のもとに届く。星というメディア。


図は、ヘロデ王の時代のユダヤを貫通してマリアのところに行く異邦人、占星術の学者を先頭に、というのをイメージしてみた。ピンクの濃いのはマリア、薄いのはユダヤ、その超越性を穴で示してみた、そこを通って、ブルーの占星術学者(異邦人)はマリアのもとに行く。


昨日のマリア話、
マリアは私たちのようでありながら、私たちはマリアじゃない。
これを聞いて、すぐにピンと来た友が、こう言った。
エス人間性を帯び、私たちのようでありながら、私たちはイエスじゃない。
理解できても、説明できない世界*3
この説明を一生懸命しようと科学ってみるんだけれど、なかなか・・・。


しかし、処女懐胎で思ったことは、マリアって最初にイエスに出会った者として出てきて(産んでいるという点で)、復活後もマリア(このマリアは別のマリアとしても)にイエスは最初に現われるってことなんだよね。いずれも女性なんだなぁ。記者たちは何が言いたかったんだろ。

*1:「ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現われ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである」。

*2:同意語を周囲に散りばめながら求心的な動きを用い立論する。

*3:科学と逆、科学は説明できても理解できない世界だそう。