東方で見た星
マタイ2章1−12つづき
10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
原体験ということかな。
喜びに包まれているという経験。
その前の箇所をみると「東方で見た星」に囲まれる構造が浮き上がる。
Mt2章1−9
■ユダヤ人の王として生まれた方はどこか?と東の方から占星術の学者が来る。
■東方でその方の星を見たので拝みに来た(占星術の学者は異邦人)。
- ヘロデ王は民の祭司や律法学者に「メシアが生まれるのはどこか?」と問う。
- 旧約の引用:ミカ書5.1*1
■ヘロデ王の言葉を聞いて、占星術の学者たちは出かける。
■東方で見た星が先立って進み、幼子の場所の上に止まる。
そして、これに応えるように・・・
10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。
東方の星と、占星術の学者で囲まれた中心に据えられてるのは、イスラエルの牧者、いちばん小さい者でありながら、いちばん小さい者ではない。幼子として証言されるイエスの現存。このコンチェントリック*2な手法はまさしく?
星は、神の直接的介入のシンボルとして、異邦人のもとに届く。星というメディア。
図は、ヘロデ王の時代のユダヤを貫通してマリアのところに行く異邦人、占星術の学者を先頭に、というのをイメージしてみた。ピンクの濃いのはマリア、薄いのはユダヤ、その超越性を穴で示してみた、そこを通って、ブルーの占星術学者(異邦人)はマリアのもとに行く。
昨日のマリア話、
マリアは私たちのようでありながら、私たちはマリアじゃない。
これを聞いて、すぐにピンと来た友が、こう言った。
イエスは人間性を帯び、私たちのようでありながら、私たちはイエスじゃない。
理解できても、説明できない世界*3。
この説明を一生懸命しようと科学ってみるんだけれど、なかなか・・・。
しかし、処女懐胎で思ったことは、マリアって最初にイエスに出会った者として出てきて(産んでいるという点で)、復活後もマリア(このマリアは別のマリアとしても)にイエスは最初に現われるってことなんだよね。いずれも女性なんだなぁ。記者たちは何が言いたかったんだろ。