アパートのなかの祈りの場


これから十字架がこの部屋に置かれる。

左はカルメルの、真ん中はルワンダ、右は援助会。


広島のわたしの実家で、
十字架は、
昔から家に伝わる神道の神棚のなかに置かれている。
父がそこがいちばんよろしいと決めたらしい。
十字架を置く、十字架を壁にかける、というのは、
ある意味で一つの決断のようにも思われる。
ここは、イエス・キリストの死と復活の現場である、というような。
修道院には聖堂がある。
おそらくすべての修道院にあると思う。
一人で住んでいたり、アパート暮らしは別として。
でも修道者がアパートに住むときもまずはそれを考えるんじゃないか。
共同体姉妹兄弟の人数にもよるが共に祈る場というのを大切にするから。
その場所をどこにするか。
狭いアパートの場合、祈りの場兼、台所兼、食堂兼、居間兼ということもある。
むかし北千住に住んでた仲間は彼女の寝室をいつもオープンにしていて、
みんなで祈るときは彼女の寝室で祈っていた。
懐かしい。
ドアを開けたらすぐ階段という小さなアパート。
わたしたちのここは居間と食堂を一つにして、もう一つの居間を聖堂とする。
つい立で仕切りながらの空間だけれど、
陽もあたり小さなベランダのカーテンのむこうに植えたパンジーも見える。
カーペットを買い、照明を選んで、少しずつかたちになる。
十字架が置かれ、アパートのなかの祈りの場ができる。