サンスルピス大聖堂


あの「ダビンチコード」で有名なサンスルピス。とうとう外壁工事が終わったらしい。思えば、このような美しいサンスルピスを見るのは初めてだ。ずーっとグレーの工事現場によくありげなカバーで覆われていたわけだから(初めて見たのは1997年)、はあ、こういうふうになっていたのか!と驚いた。
角みたいに立っている二つの塔のデザインは違う。右の方がなんかモダンな感じだ。中はもちろん18世紀のバロックまっただ中の建築物だが、この右側の塔のデザインはなんか未来派風な感じ。調べてみたいが、まったく時間なし。
←この写真は先週撮ったもの。今日は雨だもん。いやあもうなんにもできない。もちろん観光に来た訳ではないが、冗談ぬきで缶詰状態。

この前の日曜日にはミサにサンスルピスに行ったので内部を撮っておいた。奥の方で緑色の祭服を着ておられるのが神父さん。こんな感じ。→
さて、私が今滞在している場所では日々の祈りとして、毎朝、会議の前には我々の小さな聖堂でミサがあって、各地のシスターたちがちょっとした歌とか準備してくれて典礼が行われる。だいたいフランス語が多いが、朗読は、英語もスペイン語もある。8月6日は日本の、広島の日ということで日本語で第一朗読が読まれた。
ご変容の祝日だ。Transfiguration ルカ9章のモーセとエリヤと一緒に白く輝いたイエスの変容を見た弟子たちが、ここに小屋を建ててずっとあなたを(イエスを)仰ぎ続けましょうという場面がその日の福音なのだが、そこが広島の原爆の日だというこの皮肉に、キリスト教徒になって以来ずっと混乱しなければならないという重荷を感じて来た。まあ、今回もそうだ。毎年そうなんだけど。確か去年は広島にいた。広島の原爆ドームがやけに「かわいく」見えて、妙な平和観を感じた。
しかし、今回、ミサの中で、イエスの姿が変わったということと、私たち自身が変えられるという瞬間に焦点があてられた小さな説教があって、なにかしら、あの広島の時の、あの原爆の惨禍の中で起こったであろう変容そのものが(それを苦しみとか十字架と名付けるにはあまりにも遠すぎるーそこに居なかった者にはけっして分からない)まさしくイエスの出来事だったのではないかと、ほんとうに心から思った。広島を聖地と自分なりに言っては来たが、それを大声で言うのは恥ずかしいという思いもどこかしらあった。でも、今年、8月6日に、あれはイエスの出来事だったんだとほんとうにそう思ったというか、そう言うことに矛盾がなくなっていた。
パパさんはヒバクシャで、去年81歳になって初めて被爆証言をし、それが20分ほどのDVDになった。
それを先日、私の学生に見てもらった。彼らの反応が驚くほどまっすぐでありがたかったのだが、ただありがたくて、嬉しいというだけでなく、私自身、娘としての役割の一つを果たした気がした。まあ、親子のひいき目というのはある。でも、見せびらかしているということじゃなくて、自分自身の中での決着というか、そういう次元での役割を果たした感がある。
私には、私が育てられた私を取り巻く環境があって(つまり、私が受けたこと。誰もがそうだと思うが特別の)その環境を食べて、糧として、自分なりに「消化」し、それなりに成長したと思う。じゃあ、私を育て、私の糧となったものはいったい何だったのか?今までうまく表現しきれてなかった気がする。「原爆だから」というだけで、それ以上の話にならなかったものがあったし、それは今でもある。しかし、パパさんのこの証言で何かがほどけてきたというか…。この「証言」という「かたち」によってはっきりと示された時、目に見えなかった(が、しかし確かにあった)ものが、見えるようになってきたというか…。見えるというか、かたちが与えられるというか…。Trans-Figurer...
信仰について、「あなたがたに伝えたことは、わたしも受けたことだ」とパウロは言ったが、わたしが受けたことがいったい何だったのかをはっきり分からなければ、結局のところ、あなたがたにも伝えられないということになってしまわないか。
原爆だからっていうのは、どこか奥義だからっていうのに似ている。
心配しないで心にあることを語ってみたら、どうだろう。
分かり合えるのが目的じゃない。もっと信じる人になるために。