わたしの内、その人の内

わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」
ヨハネによる福音書6章51−58

わたしの肉を食べ、
わたしの血を飲む者は、
わたしの内に住み、
わたしも彼の内に住む。
徹底的な内在神秘の様相が身体的描写で表現される。
食べたり飲んだりする人間の、脆弱な在りようを
彼との関係性においてはじめて堅固なものとする。
つまり、住む、ということ。
流離い、風来坊な、どこ吹く風のわたしが住むところは、
わたしがわたしで在ろうとするところ。
神が、わたしの内に、神であろうとするところ。
そこは、唯一、堅固な場所。
すべての尊厳が凝縮されて光輝く、山頂。