手をとって起こす

ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。確かに、イエスは天使たちを助けず、アブラハムの子孫を助けられるのです。
それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司になって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。
ヘブライ人への手紙2章14−18

すぐに、一行は会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。
マルコによる福音書1章29−39

わたしの話を聞いてくれる者の前で、
聞かれるままになってみる。
聞いてくれる者は、ただ、ただ、聞いてる。
話しているわたしは、ただ、ただ、話してる。
わたしはそのとき聞かれているわたしになっている。
聞かれていることをまるで意識しないのだけれど、
わたしの話すことばは、聞かれる者の心のなかに蓄積される。
・・・
朝早く、まだ暗いうちに、
起きて、砂漠へ行き、祈る。
思い起こす、シモンの姑の手が熱で熱かったこと。
彼女の手をとったときに、なにがあったのか。
祈りは、砂漠の火、大海の水。