あなたより先に

喜び歌え、不妊の女、子を産まなかった女よ。歓声をあげ、喜び歌え/産みの苦しみをしたことのない女よ。夫に捨てられた女の子供らは/夫ある女の子供らよりも数多くなると/主は言われる。あなたの天幕に場所を広く取り/あなたの住まいの幕を広げ/惜しまず綱を伸ばし、杭を堅く打て。あなたは右に左に増え広がり/あなたの子孫は諸国の民の土地を継ぎ/荒れ果てた町々には再び人が住む。恐れるな、もはや恥を受けることはないから。うろたえるな、もはや辱められることはないから。若いときの恥を忘れよ。やもめのときの屈辱を再び思い出すな。あなたの造り主があなたの夫となられる。その御名は万軍の主。あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神/全地の神と呼ばれる方。捨てられて、苦悩する妻を呼ぶように/主はあなたを呼ばれる。若いときの妻を見放せようかと/あなたの神は言われる。わずかの間、わたしはあなたを捨てたが/深い憐れみをもってわたしはあなたを引き寄せる。ひととき、激しく怒って顔をあなたから隠したが/とこしえの慈しみをもってあなたを憐れむと/あなたを贖う主は言われる。これは、わたしにとってノアの洪水に等しい。再び地上にノアの洪水を起こすことはないと/あのとき誓い/今またわたしは誓う/再びあなたを怒り、責めることはない、と。山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず/わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと/あなたを憐れむ主は言われる。
イザヤ書54章1−10

ヨハネの使いが去ってから、イエスは群衆に向かってヨハネについて話し始められた。「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。華やかな衣を着て、ぜいたくに暮らす人なら宮殿にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ、言っておく。預言者以上の者である。『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう』/と書いてあるのは、この人のことだ。言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」民衆は皆ヨハネの教えを聞き、徴税人さえもその洗礼を受け、神の正しさを認めた。しかし、ファリサイ派の人々や律法の専門家たちは、彼から洗礼を受けないで、自分に対する神の御心を拒んだ。
ルカによる福音書7章24−30

とりあえず、この世界では、人間は女から生まれることになっている。
人間の誕生の瞬間は、女の身体が舞台となる。
ベットでも畳でも病院でも屋敷でもなく、人間は身体から生まれている。
産道という花道を通って、堂々とこの世に参上するのだね。
女はここで、自分自身が舞台と化する原身体体験をすることになる。
世界が舞台で人間が役者なら、ある意味ここで、
女は世界という舞台以前の、つまり、原世界となってしまうのだ。
さて、
原身体体験をして、原世界となってしまった女たちが二、三人集まると、
彼らは突如ノごとく彼ら独自な言語を語り始める。
キラキラしたとても美しい言語。
原身体体験を通って獲得したヌヴォ・ランガージュ。ここに共同体ができる。
不妊の女、子を産まなかった女、産みの苦しみをしたことのない女、夫に捨てられた女。彼らは、この共同体には永遠に入れない。この共同体がいかに美しいかを知っていれば知っているほど、その美しさが美しく見える。しかしそこからは、いつも疎外されている。彼らはこういう悲しみを背負った疎外されている女たちなわけだ。
祖国でさかんなオニババ議論、いい議論だと思うよ。盛り上がったらいいね*1