天よ

日の昇るところから日の沈むところまで/人々は知るようになる/わたしのほかは、むなしいものだ、と。わたしが主、ほかにはいない。光を造り、闇を創造し/平和をもたらし、災いを創造する者。わたしが主、これらのことをするものである。天よ、露を滴らせよ。雲よ、正義を注げ。地が開いて、救いが実を結ぶように。恵みの御業が共に芽生えるように。わたしは主、それを創造する。神である方、天を創造し、地を形づくり/造り上げて、固く据えられた方/混沌として創造されたのではなく/人の住む所として形づくられた方/主は、こう言われる。わたしが主、ほかにはいない。地の果てのすべての人々よ/わたしを仰いで、救いを得よ。わたしは神、ほかにはいない。わたしは自分にかけて誓う。わたしの口から恵みの言葉が出されたならば/その言葉は決して取り消されない。わたしの前に、すべての膝はかがみ/すべての舌は誓いを立て恵みの御業と力は主にある、とわたしに言う。主に対して怒りを燃やした者はことごとく/主に服し、恥を受ける。イスラエルの子孫はすべて/主によって、正しい者とされて誇る。
イザヤ書45章6−8、18−25

そこで、ヨハネは弟子の中から二人を呼んで、主のもとに送り、こう言わせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」二人はイエスのもとに来て言った。「わたしたちは洗礼者ヨハネからの使いの者ですが、『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか』とお尋ねするようにとのことです。」そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた。それで、二人にこうお答えになった。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」
ルカによる福音書7章18b―23

待ちつづける民の血が、どういうわけだかわたしにも流れてて、
天よこの地を見てくださいと、自然に叫ぶわたしになってる。
なぜか、と聞かれても理由はない。
牢屋のなかのヨハネのように、
叫ぶ声を封じ込められてもまだ問いつづける、
そういう者として異国で生きてる。
しかし不思議なことに、
わたしが待っている者を、誰かが待っていないとしても、そこに怒りは起こらない。
待ちつづける民の血は、自分を正しい者として誇っているようだが、
その誇りからは無縁だ。
冬は、小さな火こそ目立って暖かい。