すでに

*1

そして火のような預言者エリヤが登場した。
彼の言葉は松明のように燃えていた。
彼は人々に飢饉をもたらし、その熱意をもって人々の数を減らした。
彼は主の言葉によって天を閉ざし、三度、火を降らせた。
エリヤよ、あなたはその驚くべき業のゆえに、
どれほどほめたたえられたことだろうか。
あなたと等しく誇りうる者があろうか。
あなたは火の旋風に包まれ、火の馬の引く車に乗せられ天に上げられた。
あなたは、書き記されているとおり、定められた時に備える者。
神の怒りが激しくなる前に、これを静め、父の心を子に向けさせ、
ヤコブの諸部族を立て直す者。
あなたを見る者、また、愛のうちに眠りについた者は幸いである。
確かに、わたしたちも生きるであろう。
シラの書48章1−4、9−11

彼らはイエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。
エスはお答えになった。
「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」
そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。
マタイによる福音書17章10−13

神さまはわたしよりももっとわたしと仲がいい(聖アウグスティヌス)。
わかるような、わからないような。
いや、わからなくたっていいよ、祈りのなかで受けた直観の世界だから。
そういうふうに「はっ」って開いた世界は、いつまでも心に残るねぇ。
誰に100回も200回も耳にタコができるほどお説教されてもわかんない、何度も思わず繰り返しちゃう失敗、ピンクの蛍光ペンとグリーンの蛍光ペンで線を引いても覚えられない、そういうことばっかりだけど、心のなかにある日突然、ぱっと開いたお花みたいな世界は、いつまでも忘れられないんだよねぇ。
それは夢の中かもしれないし、メトロの中かもしれないし、お風呂に入ってる時かもしれないし、お庭で草取りしてるときかもしれないし、ドアに一瞬手をかけた時かもしれないし、自転車に乗って買い物に行こうとしてる時かもしれないし、ホテルのバスルームで歯ブラシにぎったときかもしれないし、畑でソラマメ収穫してる時かもしれない。
この世のスペースとタイムのなかを、「はっ」の世界が開いてしまう。
火のような預言者エリヤが登場するみたいなものだな。

*1:蓮と金魚、友だちが送ってくれた