パン五つと魚二匹

karpos2005-04-08

その後、イエスガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。
ヨハネによる福音書6章1−15

起きなさい、一緒に行こう。
あなたはわたしたちにこう言い続けた人生を歩んだ。
JPⅡ葬儀ミサでのラッチンガー枢機卿の説教はここ↓
http://www.cef.fr/catho/actus/dossiers/2005/jourjjeanpaul2-2005/20050804homelie.pdf
ヨハネ・パウロ2世
もちろんこの言葉はこう響く、「怖れるな」。
わたしたちは怖れと心配の世界にあって疲れてる。
疲れ果ててる。
信じることができなくて困ってる。
そういう世界にあって、
あなたは、あなたのできることをおもいっきりした。
ほら、見てくださいよ、あなたの友だちが今日こんなに集まってるんです。
わたしが生きてる現場で、わたしのできることをする。
あなたから学んだこと。
あなたは1999年3月5日こう書きました。
私は深く信頼している。
私の弱さがあっても、
主は、主のご意志に従って、
私の人生において主の奉仕者として呼ばれる一つ一つの仕事、
そして、試練、苦しみに立ち向かうために必要なすべての恵みをくださるということを。
また私は、私の態度によって、私の言葉、行い、怠りによって、
私が聖座に対して私の義務を裏切るようなことを、
主はけっしてお許しにならないと信頼している。
le texte du testament spirituel de Jean-Paul II.
http://www.zenit.org/
私に従いなさい。
あなたは、彼と共に生き、彼に従った。
パン五つと魚二匹。
持ってるものをすべて分ち合う「生」。
・・・
写真はフィガロ紙・特集雑誌。今週月曜日に出た。
保守系新聞フィガロは4月4日月曜日朝刊、半分をJPⅡ記事にあてた。
詳しくはhttp://www.lefigaro.fr/
カトリックアイデンティティ
読者はどういう読み方をするのだろ。