Tt1,1-9;Lc17,1-6

神の僕(しもべ)、イエス・キリスト使徒パウロから
― わたしが使徒とされたのは、神に選ばれた人々の信仰を助け、彼らを信心に一致する真理の認識に導くためです。これは永遠の命の希望に基づくもので、偽ることのない神は、永遠の昔にこの命を約束してくださいました。 ―
信仰を共にするまことの子テトスへ。父である神とわたしたちの救い主キリスト・イエスからの恵みと平和とがあるように。
あなたをクレタに残してきたのは、わたしが指示しておいたように、残っている仕事を整理し、町ごとに長老たちを立ててもらうためです。
テトスへの手紙1章1−2、4、5

エスは弟子たちに言われた。
「・・・もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。
ルカによる福音書17章3b−6

スキャンダル、リベンジ、カタストロフィ。
この世界でつまづきは避けられない。もしも「世界」を「芝居の舞台」とするなら、こういう舞台に立つことは悲しいよ。大声で泣き叫ぶ演技をせねばならぬだろう。腰に刀をさして、振り上げなければならぬだろう。そして何よりも、舞台全体を、真っ黒に塗りたくり、血に血を浴びせなければならぬだろう。こういう舞台の役者になるくらいなら、サーカス団に入ってピエロになる。そして、みんなをおもいっきり笑わせる。腹をかかえて笑わせる。
小さな町に、女がいた。男と知り合って結ばれるが束の間、酒、借金、暴力に、いつも目を泣き腫らせていた。七回どころではない、千回、二千回、男を赦した。この女は何を信じていたのか、誰も知らない。いつの間にか、酒、借金、暴力は消え去り、男はけろっとした男になった。女は自分をふりかえる。いい人生だった。
信じることしか、伝わらない。
どんなに上手に言葉を喋っても、どんなに美しい声で歌っても、どんなに完璧な演技をしても、伝わっているものは、信。