サウロ


今日の使徒言行録、サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。

さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。
ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」。
同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。
サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。
使徒言行録9、1−9

この箇所、私の聖書の「この道」のところにむらさきの線が引いてあって、19、9、23と鉛筆で書いてある。使徒言行録にある「この道」。昔ならった「キリスト論」かなんかで線を引いたんだろう。原始教会では当時、自分たちのことを「道」(ホドス)として認識していたとか、そういう話。
サウロはこの道を非難していた者だったが、この道に従う者に成った。
ある日、旅の途中、ある道で、声を聞いて。
見えないけれど聞こえる声。
なぜ、わたしを迫害するのか。
今日の私にとってこの「声」は何かとても印象深い。旧約聖書を貫く神の息、喉から出る声、人間にも聞き分けられるその声に、神がおられる。その声は、迫害されている者として、サウロに届いている。迫害されているサウロの神が、彼に聞き分けられるように語りかける。痛む神の顕現というか。
あなたは誰か?
イエス・キリストへの根本的な問いをすぐさま放たれる。結局のところ福音の物語はここに集中している、「いったいこの人は誰か」。迫害されている神が、迫害する者にむかって、「起きて、行きなさい」と歩かせる。サウロはイエスにこうして出会った。