現す

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
ヨハネによる福音書14章15−21

それは真理の霊であるが、世はこれを受け入れることができない。世はそれを看ることもなければ、知ることもないからである。あなたがたはその「霊」を知りつつある。あなたがたのもとに留まっており、あなたがたのうちにいることとなるからである。
ヨハネ14,17小林訳(岩波)

キリスト者
そのはじめから、世との差異化は始まってる。
これと、それとは「違う」と言い切る。
貧しくて、地に這いつくばって生きた我らの先人が、
これこそが真理の霊であると言って経験した、その霊は、
人間を人間らしくする聖霊、愛の尊厳。
ひとりひとり愛されていて、天の父から忘れ去られることはけっしてない。
彼が自分の姿を現して、ここにいる、と呼びかける。