祝福

主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」彼は答えた。
「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」神は言われた。「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」アダムは答えた。「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか。」女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました。」主なる神は、蛇に向かって言われた。
「このようなことをしたお前は/あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で/呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」
アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。
創世記3章9−15、20

わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。
エフェソの信徒への手紙1章3−6、11−12

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
ルカによる福音書1章26−38

主の天使ガブリエルは、六ヶ月前に、祭司ザカリアのところにあらわれている。
天使は「あなたの妻エリザベトが男の子を産む」とザカリアに告げている。
ザカリアはその後、口がきけなくなり、エリザベトは身を隠す。
そのできごとから六ヶ月目、今度はマリアのところにあらわれて、
「恐れることはない、あなたは男の子を産む」と告げる。
天使はこうして、ひとりひとりに、祝福の知らせを告げるため天から遣わされる。
しかし、いくら祝福の知らせとはいえ、知らせの成就はまだまだ先の話だ。
エリザベトもマリアも、おなかのなかに始まった祝福をかかえたままで、
それが成就するまで、日常生活をせねばならない。
喜びなさい、と言われたものの、これから何が起こるのかさっぱりわからない。
先が真っ暗闇だって思うこと、あるよね。
でも、思い出してよ、この祝福の声を。
いのちがおなかのなかにはじまって、それが出てくるって、考えてもみてよ。
すごいじゃん。
男性はもしかしたら想像しにくいかもしれない、
でもちょっとマリアになったつもりで。
前もった今を、生きて。