3Jn 5-8;Lc18,1-8

愛する者よ、あなたは、兄弟たち、それも、よそから来た人たちのために誠意をもって尽くしています。彼らは教会であなたの愛を証ししました。どうか、神に喜ばれるように、彼らを送り出してください。
この人たちは、み名のために旅に出た人で、異邦人からは何ももらっていません。だから、わたしたちはこのような人たちを助けるべきです。そうすれば、真理のために共に働く者となるのです。
ヨハネの手紙5−8

エスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。
「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とは思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかまわないから、彼女のために裁判してやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」
それから、主は言われた。
「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫びを求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」
ルカによる福音書18章1−8

アフリカの砂漠を何百キロも走り、アルジェリアとモロッコの国境まで辿り着いたところで捕まった者たちは、そのまま、故郷に帰らされた。世界地図で見れば、たしかにモロッコとスペインはすぐ目と鼻の先のように見える。泳いで渡ろうとする者たち、小舟で渡ろうとする者たち、息絶えて、浜辺に打ち上げられる亡き者たち。終わりのない脱走。家族との別れ、全財産をたずさえての一生一度の旅だったのに、悔し涙が足元の砂をぬらす。とはいえ、運良く、辿り着いた者たちもたくさんいる。そして、彼らは助け合い、渡り歩き、今もちゃんと生きている。
世界をノマドが駆け巡る。
この土地でだめなら、あちらへ行く。負けてはならない、生きるためには。
コートジボワール、二日で二千人、三日で三千人、人々は出て行く、次々に、すべてを捨てて、いのちからがら、空から、逃げる。これまで慣れ親しんだ家や店を捨て、昨日まで笑いあった道行く人と別れ、そこから去る。これからこの国でいったい何が起こるのか。
このように、アフリカから出て行く人たちは、さまざまな顔をもつ。
一人ひとりが、わたしはわたしで、けれども一緒に、この地上で生きていくには、とにかく気を落とさずに、とにかく。
http://fr.news.yahoo.com/041113/85/452gg.html

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041111-00000097-reu-int.view-000