2Jn,4-9;Lc17,26-37

あなたの子供たちの中に、わたしたちが御父から受けた掟どおりに、真理に歩んでいる人がいるのを知って、大変うれしく思いました。さて、婦人よ、あなたにお願いしたいことがあります。わたしが書くのは新しい掟ではなく、初めからわたしたちが持っていた掟、つまり互いに愛し合うということです。愛とは、御父の掟に従って歩むことであり、この掟とは、あなたがたが初めから聞いていたように、愛に歩むことです。
ヨハネの手紙4−6、

「ノアの時代にあったようなことが、人の子が現れるときにも起こるだろう。ロトの時代にも同じようなことが起こった。
人の子が現れる日にも、同じことが起こる。その日には、屋上にいる者は、家の中に家財道具があっても、それを取り出そうとして下に降りてはならない。同じように、畑にいる者も帰ってはならない。ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者はかえって保つのである。言っておくが、その夜一つの寝室に二人の男が寝ていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。二人の女が一緒に臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、他の一人は残される。」
そこで弟子たちが、「主よ、それはどこで起こるのですか」と言った。
ルカによる福音書17章26、28、30−37a

彼は彼の人生すべてを民族のために与えた。
彼は彼の民族を愛し、彼の土地を祝福し、争うことの虚しさを彼の笑顔で説いた。民族のアイデンティティを戦争なしで主張するためには、愛なしには無理。こうして、民族の国を建てるところまでこぎつけた。
彼には愛があったから。
それでも争いは絶えなかった。多くの人が犠牲となって、自らの命を差し出し、他者を亡き者とした。悲しいバス、燃え尽きたレストラン、脚の折れたビリヤード。建国の名のもとに、どれだけの命が消えていっただろうか。彼は今、この地上から消え去ったそれらすべての命と出会っているのだろうか。この地上で、いかに、国が国であることの難しさを、彼らと共に語り合っているだろうか。彼らよ!どうすれば、恨みと争いがなくなるのか、天から我々にアドバイスしてもらいたい。
彼は彼の愛した国にキスをして、笑顔いっぱいに去っていった。あの時、もう帰ることはないとわかっていたのではないか。信じられないほどの笑顔。彼の魂の現れ。
さて、残された者に託された使命。国を愛して、戦わない。
http://fr.news.yahoo.com/041113/85/451xl.html