タロット

タロットカード

右のタロットカードはなんか希望のあるカードらしいよ。ゴーストくんの足下には封筒がある。それはメッセージを運んでくるんだって。
それにしても面白い、とにかく「こんなカードが出るか〜、ひゃ〜」というカードが出るんだよね。ひいたカードはその人の潜在意識がひかせるのだ、というタロットの法に従い、ひいたカードからいろいろと分かることを教えてくれる。気づいていない潜在意識に直面させ、自分自身と対話することができる、タロットってこういう「自分理解の一方法」なのだな。
もちろん、自分以外の誰かがどうなの?という問いもでき、それに関してもカードをひける。その場合、自分の潜在意識がひいているわけだから、本人はどうか分からないじゃないってことだけど、そのあたりは、潜在意識はつながっているっていうユング的な感じでいけば説明はつくよね。
昔からタロットカードってどんなのだろうと思っていたところ、なんと親しいIちゃんが実はタロットカードの名士だとわかり、お願いしてみたところ、快く、タロットしてくれたのだった。念願かなってタロットしていただいた後、なんと、私のここ三日間続いていた頭痛がすぅーっとひいていたのであったよ。これにはまったく驚いた!
Iちゃんに後でご飯を食べながら「消えたんだよ〜」って言うと、「え?じゃ、わたしがその頭痛を吸い込んだか」って言ってたけど、いやっ、そんなことはないよ。なんか自分では自分自身といい内的対話ができてもやもやしていた事柄がすきっとしたって感じなんだ。楽しかったし。
タロットする前、タロットしてみた感じを体験したいと思っていたのだけど、おかげさまで、とてもポジティブな印象を受けた。
だいたいキリスト教信仰からいえばタロットとか占いって異教でしょう?だめでしょう?という感覚があると思うし、受け入れられていないと思う。ニューエイジはけっこう厳しく批判されるし、要注意!とされている。そうだと思う。しかし、タロットをしてみて、タロットは、キリスト教信仰とはまったく別の次元に位置しており、タロットをしたからって、キリスト教信仰を失うことはけっしてないヨってことを実際にやってみて分かった。
わたしが、主であるイエス・キリストにつき従い、彼を主として歩んでいく、生きていくということはたぶん、タロットをやっていろいろ分かって、なるほどー、そうかー、と思ってこういうことを気をつけようと思うことと、大きく次元が違うことなんだという感じがしている。
ある意味では、「おしゃべりな時間」なのかもね。
捕らわれないで、客観的になって、自分を笑えたりもできる。