タロットその後・・・

自信持って、タロットしたからって信仰は失わない!って書いたけど、やっぱり、時間がたつと、この後味というか、記憶というか、ある種の「像」が残って、この辺りにひっぱられることが、結局のところ、ニューエイジの問題なのかな・・・って思ったり。
「時」のどこかしらに「残像」する「ひっぱられ」。
占いに凝っちゃって、そこに頼って、自分を見失っていくっていうのは、この「時間」と「自己」との間にある空間というか、次元というか、その辺りではまっちゃうんだろう、な。
って思うがどうだろうか。
旧約聖書はよく言ったものだ、神さま以外に像を作るなって。
初代教会を生きたキリスト者たちは、多神教の世界の中で、「なにかしら」に頼ることを強要され、覆いかぶさってくるそのような力と、たぶん、闘ったのではないかしら。
・・・というわけで
時間経過の中で「あのカード」の残像が消えるままにする。