ミッション

フランスでも感じたのだけど「ミッション」という言葉を教会がめっきり使わなくなった。
実際、西洋社会でミッションと言えば、西洋社会(=キリスト教社会)から非西洋社会(=非キリスト教社会)へ宣教に行くというイメージが強く、それに関しては、もう大航海時代から500年以上、19世紀のひどい人種差別を通って、現代ではもうそういった「非キリスト教社会への宣教」なんていうものは死語のようなものだという感が強いからだと思う。
この流れでいけば理解できる。
日本でも、ミッションという言葉はずいぶん使われなくなったのではないか?と思うがどうだろう。
昔は、カトリックプロテスタントが経営する学校のことを「ミッション校」って言っていた。今でも言うのだろうか?あまり聞かない。ここのところミッショナリー(=外国人の宣教師や伝道師)がどんどん減少している。彼らが年をとったり、自国へ帰るというということになっているからだ。戦後貧しかった日本には多くのミッショナリーがやって来たが、日本が裕福になって、学校、医療、福祉全部自前でできるようになると、もう彼らの役割は終ったとでも言うかのように「ミッション」も終ってしまったような空気さえある。
西洋から非西洋へ行くというミッションもなくなれば、非西洋におけるミッショナリーが居なくなることによってミッションもなくなるということになると、根本的に「ミッション」という営みがなくなってしまうんではないか?ということになってしまわないか。
実に「ミッション」という言葉はすでに19世紀後半から20世紀にかけてプロテスタント側では「コンテクスチュアリゼーション」という言葉に、そしてカトリックでは「インカルチュレーション」という言葉に生まれ変わっている。それまでの宣教観は完全に新たにされてしまっているのだ。キリストを信じない者は人間じゃないとか、救われないとか、そういうことを言ってきた時代の反省も込められていると思うが、やはり根本的に、イエス・キリストがこの世界にどんなふうに存在するのかという問いをプロテスタントカトリックも両者ともに考えさせられたのではないだろうか。私たち信者が真理を持っていてそれを他者に伝達するとか与えるのではなく、今この世界に現存する真理をともに見出すということになっているとでも言おうか。
不思議なことに、すでにミッションからインカルチュレーションに移行していると言うのに「ミッションがなくなるのでは?」と心配する心情が燃えかすのように残っている。いったいこれはどういうことなんだろう・・・歴史は一直線にはいかないものなのだな。
◆◆
・・・とこんなことを考えたのは、この本に出会ったから。

ミッションマネジメントの理論と実践―経営理念の実現に向けて

ミッションマネジメントの理論と実践―経営理念の実現に向けて

著者の田中雅子氏に出会ってこの本に出会うことになった。とっても考えさせられる。
氏は、近年、立派な経営理念を掲げているにもかかわらず、不祥事を起こしてしまった様々な会社があることへ疑問を投げかける。雪印乳業西日本旅客鉄道、企業のポリシーがあってもそれが浸透していなかった。そこで「経営理念とは何か」「理念はどのように浸透するのか」「何が求められるのか」「ミッションマネジメントとは何か」について先行研究を綿密に調査し、さらにすごいのは、ミッションマネジメントをしていると言われる会社6社のトップにインタビューをしそこからモデル化を試みられているのである。
モデルの中の中心になる「理念」「仕事」「制度」なんだけど、言ってみれば「教義」「司牧」「教会」ってことなんだよね。
いやはやたぶんカトリック教会がかつて「ミッション!」って言ってた時代はこういうモデルで動いていたと思われます、って気がしますわ。
インタビューから引用されるトップの言葉群はどれも「なるほど〜」と思わせる。人道的、倫理的、人柄、人生観、やはり精神性に溢れている。人を大切にし、個性を尊重、社員の能力を引き伸ばし、彼らが仕事をしていてハッピーになれるように徹底的に思いやる。誇りとやる気を引き出させるために会社自身も成長せねばならない。すごくわかりやすいし、単純に、話を聞いていると自分もこの会社で仕事がしたくなるし、仕事したら元気が出てきそうと思ってしまう。
しかし、なんだろ、ここからは教会のあり方にひっぱって考えるのだが、田中氏が描かれる「ミッションマネジメントのモデル」がそのまま教会にはやっぱり当てはまらないだろうとなんとなく思う部分があって、そこが何なのかというのは非常に気になるところ。もしかするとメガ・チャーチなんかはこういうモデルでやっているのかもしれない。前に見た映像ではメガ・チャーチの中には遊園地もあって子どもたちも楽しく遊べる。このチャーチに所属していたら誇りも満足感も得られる。
インカルチュレーション、コンテクスチュアリゼーションではぜんぜん違うモデルになるんじゃないかって思えてくる。そしてそのモデルではミッションのような結果はまったく期待できないってことになるのかもしれなかったり。