教える


誰も教えられたくないだろう。
おそらく誰もが、
教わるよりも教えたいんじゃないか。
たとえば、
キリスト教の教え」は「こうだ」とか言うと、
そんなの教わりたくないってことにならないだろうか。
けれど、心に響く何か(声だったり、言葉だったり)があって、
それをどうしてか知らないけど受けとめたとき、
思わず「教わった」「学んだ」ってことになってしまったりする。
教え、教義とかって言うけど、
それを「響き」って言ったらどうだろう。
ドグマって言い方やめて、サウンドにしたらどうだろう。
三位一体の音。
たとえば。
そうするともっとあの日に近づけるような気がするんだな。
アルフィーでエアロしながらふと思った、今日このごろ。