7月14日

karpos2006-07-16



4年住んでて一回も7月14日のシャンゼリゼの行進を見たことがなかった。なんだかんだって旅行行ったり、日本に帰ってたり、テレビでさえも見てなかった。で、今回、テレビでじっくり二時間、ポリテクニックから始まって、各種兵学校、海軍、空軍、フランスのあちこちにある部隊、外人傭兵部隊、騎馬隊、警察、戦闘機(航空、陸軍)の大行進を見た。なんと毎年、この日にこんなことが行われていたとは。
戦車が一般道路を走るので毎年それで道路が傷むとか論争があるらしいけれど、道路の問題云々だけでなく、なんだか戦車の草緑は物々しいのではないでしょうか。
しかし、自分の国の話じゃない、というのがどこかにあって、テレビで非常に冷静に鑑賞できている自分がいた。もしもこれが自分の国で、しかも一般道路で、こんなことが行われていたら、どういう感情が自分の中に起こって来るか想像がつかないと思った・・・と、いうようなことをGに話したら、いや、実際、Gにとってもこの行進はそれほど単純なものではないということを率直に言ってくれた。
最新型の戦闘機や戦車が目の前を往く。だから、力を示してるし、この力で国を守る。平和のため、国を守ると言いつつもやはりこの行進は力を披露してるってこと。フランス人であることを誇りに思い、国を愛し、革命の日を喜ぶ気持ちはいっぱいだけど、この力の示し方はどうなのか?という問い、という感じなのだろうか。
夜は各地で花火があがる。
テレビでは、カルカッソンでの歌番組生中継と花火をやっていた。
ティナっていう歌手が、花火のあがる古城(シテ)を背景に、「わたしの名はバグダット、壊された町」と歌う。歌い終わった後、司会者が、震えがくるような歌詞でしたね、背景には花火があって・・・と言うやいなや、その歌手が「Oui Sympa !」(いい感じね)と言った。Gと二人で、そりゃーないでしょーとさすがに怒った。
花火は喜びを表すのか、それとも悲しみも含んでいるのか、という話になる。
わたしは、花火を見ると、一瞬のいのち、はかない感じがして、嬉しいんだけどちょっぴり淋しい感じにもなる。その消える感じがなんとも悲しい。
でも、花火をあげるときって、どーん、どーんって、上昇気分だ。喜びのマニフェスト
わたしの名はバクダット、壊された町、悲しみの町。
残念ながら、今日の歌じゃなかったんじゃないか。
Gが「バクダットの人の気持ちになってみてよ」と言ったとき、まさに目が覚めた。
この番組を構成した人は、現地の人の気持ちを考えたか。歌の最中、生中継でステージを見にきている人たちは体を揺らしながら、笑って口ずさんでる。バクダットの人の気持ちには遠い。