試合の後

おっ、月が出てる。安っぽい花火があがってる。クラクションを鳴らしながら自動車が走ってる。いつもアパートに囲まれた広場でサッカーをしてる子どもたちがみんな外に出て歓声をあげてる。うぉー、わぉー。ときおり声が一つに集まって、ヴィヴ・ラ・フランス!と言ってる。午後、段ボール箱を取りに行った帰り、車の中のラジオでポルトガルのサポーターはファティマに願いを捧げてるという話を聞いた。横をちょうど赤と緑の国旗を立てた自動車が走ってたところだった。
それにしてもいい試合だったなぁ。
先週の自分の試合も思い出したりして。
何しろ一年間考えてきたことを誰かの前で話すわけだから、やっぱりあれは試合だったと思う。自分自身との戦い、自分の足をひっぱる自分との戦い。この戦いを戦いながら、聴けたことを聴いたように話す。信じて話す。目の前でわたしの話を聞いて考えるジュリの顔が忘れられない。彼らはわたしの戦いを超えたところで思考する。信を深めるための理性によるコミュニケーションはこんなふうに行われるのかと。だから議論は戦いじゃない、探求だった。まったくそのとおり、納得できる、いや納得できない、そしてたたみかけられるような問い。かなり綿密に読まれてて、読まれた上できちんと評価していただいた。彼らのコメントはまさに次のステップのために用意されていた。学友やうちの人たちが来てくれてたのもものすごい支えだった。誰かに聞いてもらってはじめて成り立つ研究。
いろいろ心をかけてくださったお友だちの皆さま、ありがとう。祝杯はまさに、うぉー、わぉー、ヴィヴ・ル・ジャポン!(万歳、日本!)でした。この「シャンパーニュ」(美味しかった、ありがとう!実家の両親)を待ってたんですっという感じ。ジュリの一人が、日本における神学研究は西洋のそれをきっと助けるに違いないと言ってくれたことが嬉しくて泣けました、やっぱり。