ジダン


ブラボー、ジダン。最後に彼は人間であることを選んだ。
日本の新聞では暴力行為と批判されてるみたい(id:eireneさんのブログで見ました)? わたしが読んだ新聞では、スポーツ心理学者が、彼自身肩がすでに使えないほど痛んでて、手足が使えなくて、残りの力で残ってる頭突きだった(みたいな)分析してた。あの程度の頭突きが暴力行為だったら、それが日常茶飯事なサッカーって相当な暴力スポーツなのではないかと思ってしまう。
実際、あそこでぐーっと我慢して、栄光のヒーローとして最後の舞台を飾ることもできたのに、そうしなかったところが、わたしなんかは人間味が溢れてていいなぁって思う。
自分がやってしまったことが悪いことだってわかってて、シラク大統領が控え室に降りてジダンに声をかけに行った時、ジダンの方から、明日のエリゼの食事会には自分のやったことのゆえに出席できないと謝ったらしい。大統領はそんなことでジダンを拒否するような人ではないので暖かく彼を迎え入れた。みんなもジダンのことを悪く言ったりしない。こういう話、けっこう泣ける。
自分のことで、あるいは近い人のことで、何か傷つけられた時、怒りをあげるのは、自分のことを、あるいはその近い人のことを愛している所以ではないだろうか。
わたしはそういう時、自分が女だから(というのは偏見かもしれないが)、暴力に行くよりも泣いてしまう。傷つけられたら、泣く。
なんでだろう、なんでかわからない。人間だから。暴力も涙も、こういう次元ならそう変わらない。で、結局のことろ、暴力も涙も、その理由ってはっきりしないんだ。
ジダンのことをみんな好きなのは、ジダンがサッカーがすごく上手かったり、強かったり、ヒーローだったりするから「だけ」ではなくて、ジダンが家族のことを愛していたり、友やサッカー好きの子供たちのことを大切にしていたりするから、それがわかるから好きなんだ。
ブラボー、ジダン
ありがとう。