信頼

ある人が旅行に出かけるとき、
僕(しもべ)たちを呼んで、
自分の財産を委ねた。
一人には5タラントン、一人には2タラントン、
もう一人には1タラントンを委ねた、
それぞれの能力に応じて。
そして、その人は出て行った。
マタイ25章14−15


わたしにとってのタラントンとは何か?と問うところだけど、
今日は、出て行った主人に対するわたしの信頼度を問うてみたい。
5タラントン、2タラントン預かった者は、こう言う。

先生、あなたはわたしに○タラントン委ねましたが、見てください。
ほかに○タラントンもうけました。

1タラントン預かった者は、こう。

わたしはあなたが厳しい人だと知っていました。
蒔かないところから刈り取り、散らさないところからかき集められる。
だから、恐くて、
出かけていって、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。
見てください。これがあなたのお金です。

この人は恐れているのか。どうして委ねられた自由を味わえなかったのか。


彼が帰ってくるとき、
わたしは彼に何を言うことができるのだろう。
もしもこの世界を神の欠如と言うのなら、欠如をどう生きるのか責任は大きい。
ましてやこの世界に神が今もここに現存しておられるというキリスト者には、
わたしの収穫を神に差し出すことが求められる。
見てください、と。
ただで受けた「信」を、
より堅固にしてゆくための「信」。

日曜日の福音、マタイ25章14−30