生きたパン

わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
ヨハネによる福音書6章44−51

私は命のパンである(48節)
Εγω ειμι ο αρτος της ζωης.
Ego eimi ho artos tes zohes.
私は、天から降って来た、活けるパンである。
人がこのパンを食べるなら、永遠に生きることとなる(51節a)。
ヨハネ6章小林訳(岩波)

キリストの共同体のはじめのはじめ、使徒言行録にてその生活を見ることができる。

彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。
使徒言行録2、42

毎日ひたすらに心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をした。
使徒言行録2、46

彼らが裂いて食べていたパンは、
キリストが与える活けるパン。
パンが毎日裂かれるごとに、そこにいのちが現存する。
ほんとうの食べ物、ほんとうのいのちを、わたしたちが忘れないように、
パンはこうして毎日裂かれている。。。
裂いて、
渡す。
この小さな行為のなかに、
人類のありとあらゆる歴史がこめられている。
砕かれたいのちを食べて生きる。