復活させること

エスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。しかし、前にも言ったように、あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」
ヨハネによる福音書6章35−40

私が天から降って[今ここに]いるのは、自分の意志(おもい)を行うためではなく、私を派遣した方の意志(おもい)を行うためだからである。[父が]私に与えて下さっているものを皆、その中から私が[一人も]失うことなく、終わりの日[に]甦らせること、これが私を派遣した方の意志(おもい)である。つまり子を看て(みて)彼を信じる人が皆、永遠の命を持ち、私が彼を終わりの日[に]甦らせること、これが私の父の意志(おもい)なのである。
ヨハネ6、38−40、小林訳(岩波)

意志θελημα(telema)って書かれてるのは、望み、願い、思いという含みがある。
ふつう「み心」と言われてる。
み心にかないますように、ってわたしたちは祈る。
もしもあなたのご意志にかないますように、と祈るならどうだろ。
意志って言うとたしかに、なにかしら揺らがない感じがする。
彼の意志って言われるとどきっとする。
そのうえこの意志が「甦らせる」ことにあるという、さらなる驚きがある。
甦らせる、つまり、立ち上がらせるανιστημι(anistemi)。
復活させるとは、倒れていた者を立ち上がらせることにある。
・・・
立ち上がらせる、
彼を、
わたしが、
終わりの日。
・・・
エスが天の父の思いを一心に背負って来た、この世界に。
彼はこの世界ではたらく。