まことのパン

そこで、彼らは言った。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか。わたしたちの先祖は、荒れ野でマンナを食べました。『天からのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです。」すると、イエスは言われた。「はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。」そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。
ヨハネによる福音書6章30−35

パンが引き裂かれるとき、
わたしたちは、キリストの復活のなかにいる。
永遠のいのちのなかに包まれている。
このパンは、リアリティのなかで裂かれ、まことのパンになる。
この世界を眺めてみると、
あらゆる場所で、パンが裂かれているのがわかる。
ひとりぼっちで引き裂かれる心は、ひとりぼっちだからこそ分ち合われる。
ひとりだからこそ、他者がをどうしても必要とするのではないのか。
わたしたちは、パンを裂いて、与え、それを食べて、思い出す。
記憶を、こんなふうにして語り継ぐ。
神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。
おびただしい一切れのパンが、世に散りばめられる。
わたしたちは、一切れのパン。
引き裂かれて、世のまっただなかにいる。