太陽と雨

今日、あなたの神、主はあなたに、これらの掟と法を行うように命じられる。あなたは心を尽くし、魂を尽くして、それを忠実に守りなさい。今日、あなたは誓約した。「主を自分の神とし、その道に従って歩み、掟と戒めと法を守り、御声に聞き従います」と。主もまた、今日、あなたに誓約された。「既に約束したとおり、あなたは宝の民となり、すべての戒めを守るであろう。造ったあらゆる国民にはるかにまさるものとし、あなたに賛美と名声と誉れを与え、既に約束したとおり、あなたをあなたの神、主の聖なる民にする」と。
申命記26章16−19

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
マタイによる福音書5章43−48

太陽のもとに住み、雨に潤される。
天気予報で、一日中、雨だと聞いてがっくりきてたけど、
意外に良い天気で助かった。
いつもわたしが見ててきれいだなぁと思う風景を、きれいなまま見せたかったし、
何しろ雨だと、傘の心配をせねばならぬので、おっくうだから。
良い天気に恵まれて、の「恵まれて」は、
思ってたことがかなえられる意味での「恵まれて」。
きれいな風景をきれいに見せたい思いの、現実化。
しかし・・・
はるばる遠く、極東からやってきた旅人は、
果たして、思っていたことがかなえられるだけで、
それだけで、いいのだろうか。
太陽のもとに住み、雨に潤される、このどうしようもない平等性の中に、
見たことも、触れたこともない「差異」を徹底志向してゆくことが、
旅人の内に秘められた根本動機なのではないのか。
おそらく小さな気づきがあるんだけど、
それは驚くべきことと言ってよろしいと思う。