実現

わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。
ヨハネの手紙4章19−5章4

エスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。
ルカによる福音書4章14−22

今日、実現するという。
このことばを聞いたとき。
疑念と驕りの靄のなかを、手探りで降りてゆく。
垂直線に貫く「今日」という軸に信頼して。
そこにいるのは、聞いている者。
耳を傾け、語る者に目をむけ、背中を緩めている。
そこにいるのは、待っている者。
長い夜が明けるのを、灯火をともして、毛布にくるまって。
このことばが実現するのは、もっとも小さい者たちのなか。
痛みと腹立たしさのなかで、はじめて触れる者に、わたしからも触れてみる。
その細い声をしっかりと握り締めて。だいじょうぶだから。
ことばは、電脳の渦に巻き込まれながらも、
実現している、今。