マリアと天使

主は更にアハズに向かって言われた。
「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」しかし、アハズは言った。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」イザヤは言った。「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間に もどかしい思いをさせるだけでは足りず わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。それゆえ、わたしの主が御自ら あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。災いを退け、幸いを選ぶことを知るようになるまで 彼は凝乳と蜂蜜を食べ物とする。その子が災いを退け、幸いを選ぶことを知る前に、あなたの恐れる二人の王の領土は必ず捨てられる。
イザヤ書7章10−16

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
ルカによる福音書1章26−38

この身に、そのように成れ。
なるほどねえ、マリアだねぇ。
昨日から「選び」のことを考えております。
今日のこの感じでいくと、選びは対話ですよね。マリア、天使と対話する。
これまでの選びを振り返ると、わたしが誰と対話してきたかを思い出すことができるはず。たとえば、○○年の△月ごろ、ある選びをしたと。わたしのまわりには誰々がいて、こんな相談とかして、情報をこんなふうに探して集めて、ある程度のプロセスを踏んでみたわけ。さて、わたしはいったい誰と対話したか。わたしはわたしと対話した、かもしれないね。
天使とマリアの対話は、とても聖なる領域を示していると思う。
選びって尊いなってほんと、思う。
マリアの選びは、投企*1
棚からボタもちじゃないんだよ。選びは自分を与えていく聖なる仕事だよ。

*1:Entwurf(独)projet(仏)実存主義の用語。自己の存在の可能性を未来に向かって投げ企てること。現存性がつねにすでに自己の可能性に開かれている構造において、能動的な側面(了解)をいう。広辞苑より