ともにいる

主は更にアハズに向かって言われた。
「主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に。」しかし、アハズは言った。「わたしは求めない。主を試すようなことはしない。」イザヤは言った。「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間に もどかしい思いをさせるだけでは足りず わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。それゆえ、わたしの主が御自ら あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。災いを退け、幸いを選ぶことを知るようになるまで 彼は凝乳と蜂蜜を食べ物とする。その子が災いを退け、幸いを選ぶことを知る前に、あなたの恐れる二人の王の領土は必ず捨てられる。」
イザヤ書7章10−16

キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、― この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。― 神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
ローマの信徒への手紙1章1−7

イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れた。
マタイによる福音書1章18−24

わたしの選びは、わたしを満たしているか。
収穫した実を食べてみて、自分がどれほど満足しているかを知るように、
選びを食べてみるとわかると思う。
なぜなら選びは、実りだから。
どれほど満たされているか、わたし。
この選びに至るまで、汗水流して、長い間、働いてきたはず、おまえ。
それはほとんど忘れてしまったうしろ道に等しいけど。
この選びのために、どれほど多くの「もの・こと」を捨ててきただろうか。
さよならを言い、手放してきた、今はもう忘れたうしろ道さんよ。
それにもまして、この選びでわたしが満たされているのは、
無から実りを実らせる、あなたがともにいてくれたから。
選びは、腹のなかにあって、甘い。